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西郷どん 第35話「戦の鬼」その2 ~江戸薩摩藩邸焼き討ち事件~

 e0158128_19210653.jpg昨日の続きです。

 王政復古のクーデターの報告を受けた徳川慶喜は善後策に苦慮します。辞官はともかく、納地の命令は、徳川家15代当主として簡単に受け入れられるものではありません。それならば薩摩と一戦交えるか・・・・。幕兵、会津兵、桑名兵を合算すれば、薩長の在京兵力を打ち破れないことはない。しかし、いったん朝敵となってしまえば、尾張、越前、土佐が推し進める調停が水の泡になる。さりとて、激高した部下たちを鎮めるにも限界がある。そんな具合に、慶喜は迷っていたことでしょう。そんなとき、松平春嶽らより、ひとまず京都を去って大阪に下り、事態の沈静を待ってほしいと勧められます。慶喜はこの勧めをうけ、迷ったすえ下阪を決意。松平容保松平定敬板倉勝静らを従え、二条城の裏門から抜け出し、翌日大坂城に入ります。まさしく、「都落ち」といっていいでしょう。

 以後、薩摩と幕府の睨み合いは1ヶ月ほど続きます。その間、慶喜は形成の巻き返しを図るため、朝廷への工作を働きかけますが、一方で、大坂城に籠っていた旧幕府兵や会津、桑名兵らのフラストレーションは積もるばかりで、暴発は時間の問題になりつつありました。そしてついに、慶応4年1月2日(1868年1月26日)、京に向けて旧幕府軍の進撃が開始され、翌3日、京都南郊の鳥羽・伏見で両軍は激突します。世に言う「鳥羽・伏見の戦い」です。

 旧幕府軍の進撃の導火線となったのが、前年に江戸で勃発した徳川家と薩摩藩の軍事衝突でした。王政復古前の11月頃より、江戸市中では薩摩藩の三田屋敷を拠点として、強盗騒ぎが頻発していました。江戸城の留守を預かる旧幕府首脳部と江戸市中の警備を任されていた庄内藩は、これらの騒ぎを薩摩の挑発とみすえ、じっと我慢し続けていましたが、12月に入って、大風の吹く日に市中数十箇所に火を放ち、その混乱に乗じて江戸城を襲い、静寛院宮(和宮)天璋院(篤姫)を連れ去る計画が進められているという風評が流れ、その風評が流れるさなか、天璋院の住む江戸城二の丸が全焼する騒ぎが起きます。さらに浪士たちは徳川家を挑発して、この夜、庄内藩屯所に向けて発砲。これには庄内藩も怒り浸透となり、ついに旧幕府首脳部もしびれを切らして、庄内藩兵とともに薩摩藩邸を包囲。三田屋敷はたちまち火に包まれました。


 e0158128_15131310.jpgこれらの一連の騒動は、長年、西郷吉之助(隆盛)策謀によるものと考えられてきました。その理由は、慶喜の大政奉還によって武力討幕の口実を失った薩摩藩が、江戸に浪士・無頼者を集めて治安を乱し、後方撹乱を狙ったものだったと。今回のドラマも、その説を採っていましたね。この説による西郷の思惑は、騒乱状態を作ることによって、旧幕府兵力を関東に釘付けにし、京阪への集結を妨げるとともに、幕府の権威がもはや衰弱しきっていることを諸藩および江戸市中の民衆に強く印象づけ、さらには、幕府をして薩摩藩討伐の兵を起こさざるをえないように仕向けようというものでした。


 ところが、近年の研究では、この説は修正されつつあるようです。というのも、たしかに西郷は、薩摩藩士の益満休之助伊牟田尚平を江戸に派遣し、浪士たちを指揮して撹乱工作にあたるよう指示していたようですが、それは大政奉還前9月の段階のことで、大政奉還後は、撹乱工作を見合わせるよう益満と伊牟田に指示していたようです。実際、この時点では、幕府と戦って薩摩が勝てる保証などなかったでしょうからね。大政奉還前は、何としてでも武力で潰すしかないと思っていたでしょうが、大政奉還が成ったあとは、無理に戦いを仕掛けなくとも、戦わずして政権を奪えるなら、それも良しと考えたかもしれません。だから、ひとまず撹乱工作は見合わせた。しかし、西郷の意に反して騒動は起こってしまいます。それはおそらく、西郷らの制止を無視した益満と伊牟田らの暴走だったのでしょう。こういった攻撃的な作戦というのは、いったん命令を出してしまうと、のちに取り止めるのは難しいものなんでしょうね。前線の兵というのは、政治を理解できない単純思考の過激派が多かったでしょうから。


 薩摩藩邸焼き討ちの情報が知らされた直後の西郷の蓑田伝兵衛宛の書簡には、「大いに驚駭いたし候」とした上で、「残念千万の次第に御座候」との心境を記しています。これが事実なら、やはり撹乱工作は西郷の計算外だったということになりますし、もし、騒動が西郷の思惑通りだったとすれば、この手紙は蓑田を相手にとぼけていることになり、撹乱工作が味方をも欺くトップシークレットだったということになりますね。果たして、どっちだったのでしょうか。


 江戸での騒動の報が大坂城にいた幕府方に伝わると、城内は一気に沸き立ち、ただちに薩摩を討って一挙に幕府勢力を回復せよといきり立ちます。ことここにいたっては、もはや慶喜にはその勢いを抑える力はありませんでした。こうして戊辰戦争に発展していきます。結果を知っている後世の私たちは、幕府が薩摩の仕掛けた挑発にまんまと乗せられたという見方をしてしまいがちですが、当時の西郷たちにとっては、果たして本当に狙い通りだったのでしょうかね? 案外、いっぱいいっぱいだったかもしれませんよ。


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by sakanoueno-kumo | 2018-09-18 23:33 | 西郷どん | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2018-09-21 19:10
おいにはないごて慎吾どんが兄さんが謀略を指図したからと言って、非難すっとかがわかりもはん。慎吾どんとて明治政府では重職を歴任したほどの人物。あそこまで引き立て役にしなくてもいいような。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-09-22 10:57
> heitarohさん

じゃっど、じゃっど。
じゃっどん、ジャニーズに悪か男の役はさせられもはん。
忖度ちいうとでごわはんか?(笑)

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