幕末京都逍遥 その137 「寺田屋 その1」
伏見にやってきました。
「幕末」「伏見」といえば、まず訪れなければならないのは、船宿の寺田屋でしょう。
寺田屋は大阪と京都をを結ぶ通船の京側の発着点にあり、西国雄藩の志士たちの足溜りとして幕末当時はたいへんな賑わいだったと伝えられます。

幕末、ここ寺田屋ではふたつの大きな事件が起きています。
ひとつは、文久2年4月23日(1862年5月21日)に起きた薩摩藩士の同士討ち事件。
もうひとつは、慶応2年1月23日(1866年3月9日)に起きた坂本龍馬襲撃事件です。
どちらも「寺田屋事件」「寺田屋騒動」と呼ばれ、幕末史を語る上で必須とされます。
まず本稿では、文久2年の寺田屋事件を追っていきましょう。

玄関の前に建つ石碑には、「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」と刻まれています。

こちらの石碑は、正面に「史蹟 寺田屋」、向かって左側面に「坂本龍馬先生遭難の趾」、右側面に「薩摩藩九烈士殉難の趾」と刻まれています。

事件の1週間前の4月16日、薩摩藩の国父・島津久光が1000人の家臣を率いて上洛します。
その目的は、朝廷、幕府、雄藩の政治的提携を企図する幕政改革、いわゆる公武合体の実現のためで、これは、亡き兄・島津斉彬の遺志でもありました。
しかし、斉彬の生前の頃とは違って、桜田門外の変以後、世論は「倒幕」か「佐幕」かの時代に突入しており、久光の上洛は、倒幕派の志士たちを大いに刺激することとなります。
久光の上洛は日本中の尊攘派志士たちの希望の光でした。

薩摩藩内の尊王攘夷派グループ精忠組のメンバーで、過激派として知られていた有馬新七もそのひとりでした。
有馬は、藩主の「諭告書」が出されたのを受けて脱藩突出策を中止した大久保一蔵(利通)らに対し、かねてから不満を募らせていました。
つまり、突出策を捨てきれないでいたんですね。
有馬は久光に従って京に入りましたが、水面下で諸藩の過激派志士と結び、久光の上洛を背景に京都にて武力蜂起し、一気に倒幕勢力を形成しようと目論んでいました。

ところが、倒幕の意思などまったくない久光は、朝廷との面会で浪士鎮圧の命を受けます。
もともと秩序を重んじる保守的な久光は、かねてから過激派の行動を苦々しく思っていました。
久光は有馬たち過激派志士の行動を「暴発」として抑え込もうとします。
この展開に驚愕した有馬たち過激派は、憂国の念から憤激し、幕府と協調路線をとる関白・九条尚忠と京都所司代・酒井忠義を襲撃し、その首を久光に奉じることで、否が応でも久光を倒幕へ向かわせようと画策します。
4月22日、久留米藩の真木和泉と密談した有馬は、23日に計画を実行することで合意。
そして当日、薩摩藩の定宿だったここ寺田屋に集まることで決まります。

この情報をキャッチした久光は、精忠組のメンバーである奈良原喜八郎(繁)、大山格之助(綱良)ら剣に覚えがある鎮撫使9名を選び、「場合によっては切り捨てても構わぬ」と言い含めて寺田屋に派遣しました。
寺田屋に着いた奈良原たちは、当初は1階で有馬たちと面会して説得にあたりましたが、やがて、双方激高して激しい斬り合いに発展します。
有馬は剣の達人だったといいますが、狭い室内での斬り合いだったため刀が折れてしまい、鎮撫使の道島五郎兵衛に掴みかかって壁に押さえつけ、近くにいた仲間の橋口吉之丞に「我がごと刺せ」と命じ、背中から刀で貫かれて相手共々絶命しました。
その後、2階にいた志士たちも降りてきて加勢しようとしますが、これを見た奈良原は刀を投げ捨てて両手を広げてこれに立ち塞がり、「待ってくれ、君命だ、同志討ちしたところで仕方がない」と懸命に訴え、ようやく騒動は沈静化します。
このとき説得に応じて投降したメンバーの中には、西郷信吾(従道)、大山弥助(巌)、篠原冬一郎(国幹)らがいました。
いずれも帰藩のうえ謹慎を命じられています。

この戦闘で寺田屋にいた6名(有馬新七・柴山愛次郎・橋口壮介・西田直五郎・弟子丸龍助・橋口伝蔵)が死亡、2名(田中謙助・森山新五左衛門)が重傷を負い(のちにこの2名も切腹)、鎮撫士側は、有馬と共に橋口に突き刺された道島五郎兵衛のみが死亡しました。
この悲劇によって、久光は朝廷より大きな信頼を得ることになったわけですから、なんとも皮肉な話ですね。

寺田屋の庭に建つ寺田屋騒動記念碑です。
それにしても、寺田屋内の展示品は圧倒的に坂本龍馬関連のものが多く、薩摩藩同士討ち事件に関連するものが少ない。
たしかに、観光客のほとんどが龍馬ファンなのでやむを得ないのかもしれませんが、歴史的には、薩摩の寺田屋事件の方がはるかに重大な事件です。
もうちょっとスポットを当ててほしいですね。
次回、その龍馬の寺田屋事件を追います。
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by sakanoueno-kumo | 2018-09-23 01:14 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)