幕末京都逍遥 その142 「寺田屋殉難九烈士之墓(大黒寺)」

「その137」で紹介した文久2年4月23日(1862年5月21日)の寺田屋事件で命を落とした薩摩藩士9名の墓が、寺田屋から700mほど北上した場所にある大黒寺にあります。


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かつて大黒寺の近くに伏見薩摩藩邸があり、薩摩藩主・島津家の守り本尊「出生大黒天」と同じ大黒天が祀られていたことから、江戸時代のはじめ、薩摩藩の祈願所と定められました。

その縁から、寺田屋で落命した9名も、ここに葬られたのでしょう。


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こちらが、その9名の墓です。


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墓地の入口には、「伏見寺田屋殉難九烈士之墓」と刻まれた石柱があります。

そして、「西郷隆盛先生建立書亦直筆也」という文字も。

この9名の墓は、西郷隆盛私財を投じて建てたものだそうで、ひとりひとりの墓石の文字は、西郷の揮毫なんだとか。

彼ら9名は、明治に入るまでは藩主の命に背いた反乱軍という位置づけだったので、藩費では葬られなかったんですね。


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こちらは、有馬新七の墓。

寺田屋事件の中心人物ですね。

享年28。


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田中謙助、享年35。


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橋口伝蔵、享年22。


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柴山愛次郎、享年27


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弟子丸竜助、享年25


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橋口壮介、享年22。

寺田屋で負傷、のち藩命により伏見薩摩藩邸にて切腹


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西田直五郎、享年25。


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森山新五左衛門、享年20。

寺田屋で負傷、のち藩命により伏見薩摩藩邸にて切腹


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山本四郎、享年24。

寺田屋事件のときは京都藩邸で病床にありましたが、4日後に監視の使卒と格闘後、自刃します。


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以上の9名が「寺田屋殉難九烈士」と呼ばれる9名です。

田中以外は皆、血気にはやる20歳代の若者ばかりですね。

寺田屋事件ではもうひとり、有馬新七と串刺しになって落命した道島五郎兵衛が死んでいますが、鎮撫士側だった道島はここには葬られず、藩の菩提寺である即宗院に眠っています。

道島と寺田屋殉難九烈士とは、藩の扱いが違っていたんですね。

それを見かねた西郷が、ここに墓を建てたのでしょう。

寺田屋事件が起きる少し前、彼らの軽挙を鎮めるために独断で京に向かった西郷でしたが、その勝手な行動が国父・島津久光の怒りに触れ、徳之島に流されることになります。

もし、このとき西郷が彼らを説得していれば、寺田屋事件は起きなかったかもしれませんが、あるいは、ミイラ取りがミイラになって、西郷が挙兵の旗頭に祭り上げられていたかもしれません。

後年、そうやって西南戦争に身を投じていった西郷ですし、何より、このときの寺田屋のメンバーの中には、弟の西郷信吾(のちの従道)、従兄弟の大山弥助(のちの巌)、のちの西南戦争時の幹部・篠原冬一郎(のちの国幹)らがいました。

そう考えれば、久光の判断は正しかったといえるかもしれませんね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-10-03 02:00 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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