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幕末京都逍遥 その151 「鳥羽離宮跡」

「その150」で紹介した小枝橋の石碑が建つ場所のすぐ南側に、鳥羽離宮跡があります。

鳥羽離宮は平安時代後期に白河天皇(第72代天皇)、鳥羽天皇(第74代天皇)、後白河天皇(第77代天皇)院政を行った御殿があったところです。

ここも、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦い時には戦場となりました。


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現在、鳥羽離宮跡は鳥羽離宮公園として整備されています。


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公園の北側に、かつて鳥羽離宮の庭園の築山だった「秋の山」という小さな丘があるのですが、その傍に、説明板と案内板が設置されています。


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前稿で紹介した小枝橋での戦端が説明されています。

ただ、気になったのは最後の一文


新しい時代「明治」、ここ伏見から始まったともいえます。


とあります。

「その146」でも述べましたが、わたしは、鳥羽伏見の戦いを含む戊辰戦争は、する必要のなかった戦争だと思っています。

なので、この鳥羽・伏見の戦いがあったからこそ日本は近代国家を築けたかのような表現は好ましく思えません。

わたしなら、こう記します。

「翌年の函館五稜郭の戦いまで続く凄惨な内戦は、ここ伏見から始まりました。」と。


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説明板の横には、鳥羽・伏見の戦いの布陣図碑があります。


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秋の山の頂には、鳥羽・伏見の戦い顕彰碑が建てられています。


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碑文は漢文なのでよくわかりませんが、薩摩藩出身の元官僚で、黒田清隆内閣総理大臣だったときにはその秘書官を務めてのちに貴族院議員となった小牧昌業撰とありますから、おそらく、鳥羽・伏見の戦いを賛美する文章が刻まれているのでしょう。

公園では少年野球の子どもたちが元気いっぱいに汗を流していました。

かつて、ここで多くの無用の血が流れたなんて、彼らは知らないでしょうね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-10-18 23:23 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)

 

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