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幕末京都逍遥 その154 「戊辰東軍戦死之碑(法傳寺)」

「その153」で紹介した下鳥羽にある石碑のすぐ近くにある法傳寺の正門横に、戊辰戦争のの発端となった鳥羽・伏見の戦いで戦死した東軍兵を供養する石碑があります。


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もともと法傳寺は鳥羽街道沿いにあり、石碑の建つ正門前でも激しい戦闘が繰り広げられたといいます。

その縁から、東軍が使用した短銃、砲弾、太刀、槍の穂先、東軍戦死者名簿なども所蔵しており、毎年8月には慰霊祭が行われているそうです。


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この碑は、京都で初めて東軍慰霊祭が大々的に行われた明治30年(1897年)の三十回忌の年に建立されたそうです。


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石碑には、「戊辰東軍戦死之碑」と刻まれています。

揮毫は、空海の書法を究めた名筆家として知られた宮小路康文

東軍=旧幕府軍ですね。

会津の人たちはいまでも薩長軍=官軍、幕府・会津軍=賊軍という表現を嫌うそうで、あくまで東軍、西軍というそうです。

先祖が長岡藩士だという作家の半藤一利氏も、その著書では東軍、西軍という呼称にこだわっています。

たしかに、ある日突然、偽の錦の御旗が翻って賊軍とみなされたわけですから、納得できるはずがなかったでしょうね。

「東軍」と刻まれたこの石碑の発起人は、おそらく旧幕府側の人たちだったんじゃないでしょうか。


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石碑の上手には「支那事変・大東亜戦・戦没者之碑」と刻まれた石碑が並び、下手には「戦死者埋骨東北悲願寺墓地」と刻まれた標識の碑があります。

次稿では、その悲願寺墓地を訪れます。




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by sakanoueno-kumo | 2018-10-27 00:50 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)

 

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