幕末京都逍遥 その156 「戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋埋骨地)」
下鳥羽から桂川沿いに鳥羽街道を4kmほど南下した淀にも、「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれた墓碑があります。

かつてこの地には鳥羽街道の愛宕茶屋があったそうで、その傍に愛宕神社の分祀された祠があったそうです。
鳥羽・伏見の戦いの際、この場所でも激しい戦闘が繰り広げられたと伝わり、ここに墓碑が建てられました。
この墓碑も前稿で紹介した悲願寺墓地内のものと同じく、明治40年(1907年)に京都十七日会によって挙行された東軍戦死者四十年祭典の際に建てられたものだそうです。

ここに眠っているのは、慶応4年1月5日(1868年1月29日)に戦死した東軍兵35名だそうです。
1月5日といえば、戦いが始まって3日目で、あの岩倉具視が作ったとされる偽の「錦の御旗」を新政府軍が掲げた日です。
あるいは、錦旗を見て戦意を喪失して敗走中の兵だっかたもしれませんね。

石碑の前は、かつての鳥羽街道が今も通っており、その前には桂川の堤防があります。

堤防の上から墓碑を見下ろします。

墓碑の後ろには、枝打ちされてはいますが大きな銀杏の巨樹があります。
幹の太さから見て、結構な樹齢ではないでしょうか?
あるいは、ここで戦死した35名の最期を見届けていたかもしれません。
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by sakanoueno-kumo | 2018-10-31 21:08 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)