幕末京都逍遥 その160 「戊辰役東軍戦死者埋骨地(大専寺・文相寺・東運寺)」
「その159」で紹介した光明寺跡から300mほど南下したところにある大専寺にも、鳥羽・伏見の戦いで戦死した旧幕府軍の戦死者を供養する墓碑があります。

こちらが、その墓碑。
これまで紹介してきた碑と同じく「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれています。

また、大専寺から南西に100mほど歩いたところにある文相寺に境内にも、同じ墓碑があります。

それがこれ。
同じく「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれています。

さらに、文相寺から300mほど南下した場所にある東運寺にも、同じ墓碑があります。

これです。
これもやはり「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれています。
石碑の後ろに大きな切り株があります。

あるいは、往時を知っていた木だったかもしれません。

これらの碑はすべて、ここまで何度も紹介したものと同じく、明治40年(1907年)に京都十七日会によって挙行された東軍戦死者四十年祭典の際に建てられたものだそうです。
こうして見ても、このあたり一帯の寺院のほとんどが、鳥羽・伏見の戦いに関係していたことがわかりますね。
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by sakanoueno-kumo | 2018-11-09 02:09 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)