西郷どん 第42話「両雄激突」その2 ~征韓論~

 昨日のつづきです。

話はいよいよ「征韓論」の政争に突入しました。「征韓論」とは、読んで字のごとく、お隣の朝鮮出兵して征服する、あるいは、武力を後ろ盾に政治体制の変革を迫るという主張です。このときより遡ること約20年前、日本も米国ペリー艦隊の来航によって開国を迫られ、それをきっかけに幕末の動乱がはじまり、長く続いた封建国家体制が崩れ、近代国家を目指すべく明治政府が樹立されましたが、今度は、そのペリー艦隊の役目を日本が行おうとし、明治新政府が成立して以来、政府は朝鮮国に対して、日本と欧米諸国との関係のような、近代的な国際関係に基づいた新たな国交を結ぼうと交渉を続けてきました。しかし、まだ鎖国状態にあった朝鮮国にとってはありがた迷惑な話で、日本も「洋夷」である欧米諸国と同じだとして拒否し続けていました。つまり、かつて日本が諸外国に対して「攘夷」を訴えたように、朝鮮国も、日本を攘夷の対象としていたんですね。


 朝鮮国外交については、豊臣時代から徳川期を通じて、その地理関係から対馬藩が担当していました。発足したばかりの明治政府は、さっそく対馬藩から外交官を派遣し、王政復古を通告しました。しかし、朝鮮は「貴国の文書の形式がこれまでと違う」といって、これを拒絶します。朝鮮にしてみれば、いきなり西洋化した人物が現れて「天皇」とか「皇室」などといった見慣れぬ文字が並んだ文書を突きつけられても、警戒心しかなかったのでしょうね。誕生したばかりの新政権を、いつまで続くかわからない不安定な政権と見ていたのかもしれません。


 ところが、新政府はこの朝鮮国の態度を非礼であるとして、軍艦を派遣して朝鮮に圧力をかけようという、いわゆる「征韓論」を唱え始めます。当初、最も征韓論を主張していたのは木戸孝允でしたが、その後、まもなく木戸が下野したことから、新政府は朝鮮国の宗主国である清国との日清修好条規締結を優先させ、一時は征韓論も沈静化していました。しかし、明治6年(1873年)のこの時期になると、北の樺太問題や南の台湾問題など外交問題が深刻化し始め、そんななか、朝鮮半島に移住している邦人の保護も含めて、再び征韓論が声高に叫ばれるようになります。


e0158128_19013010.jpg 明治6年(1873年)6月の閣議で、あらためて対朝鮮外交問題が取り上げられました。この席で最も強硬論を主張していたのは、土佐の板垣退助でした。板垣は居留民保護を理由に朝鮮への派兵を主張します。しかし、留守政府の実質首相的立場だった西郷隆盛は、戦争となる危険性をはらんだ派兵は慎むべきだと反対し、まずは非武装外交使節を派遣し、外交交渉を尽くすべきだと主張します。そして、その使節には自分が就任し、朝鮮との交渉に当たりたいと主張しました。朝鮮への使節は、あるいは現地で殺されるかもしれない。そのような危険をはらんだ役目を、筆頭参議である西郷に任せるわけにはいかない。当初、太政大臣の三条実美も他の参議たちも激しくこれを反対しますが、西郷の自分が使節になるという希望は異常なほどに執拗で、その西郷の熱意に押し切られるかたちで、8月17日、とうとう閣議の席で西郷の派遣が合意となりました。


e0158128_15131310.jpg なぜ西郷がこれほどまでに朝鮮使節を志願したのか。その理由は今も謎のままです。一説には、自分が作った明治政府の腐敗した現状に憤りを感じていて死に場所を求めていた、と考える人もいますし、別の説では、自分が殺されることによって戦端を開くための大義名分ができ、不平士族の目を国外に向けることができると考えていた、という見方もあり、また、作家の海音寺潮五郎氏は、武力行使も辞さないとう態度を示しながら最終的には平和的解決に導くのが西郷の常套手段で、長州征伐の際に単身岩国に乗り込んで和議をまとめたこと、江戸総攻撃を目前に単身勝海舟と会談し、江戸城無血開城に導いたときなどのように、このときも、丸腰で単身朝鮮国に渡り、これをやろうとした、と説いています。そして、西郷ならば、きっとうまくことをまとめたに違いないと論じています。海音寺さんの西郷愛は尋常じゃないですから、そこは少し割り引いて考えるべきかもしれませんが、いずれにせよ、このときの動機を西郷が記した史料は存在せず、すべて後世の想像にすぎません。ただ、唯一、征韓論に西郷が触れた史料である明治6年(1873年)7月29日付で板垣退助に宛てた書簡のなかで、西郷は自分が殺されることを高い確率で想定しており、そのときは、「此より兵端を開き候わん」と記しています。やはり、西郷は朝鮮を討つための大義名分になろうとしていたのでしょうか・・・。


 8月17日の閣議で決定した西郷の朝鮮国派遣でしたが、ただし、事が重大であるがゆえ、最終的な決定は副大臣である岩倉具視の帰国を待ってということになります。これが、大きなドラマを生むことになるんですね。

 今話のサブタイトルは『両雄激突』でしたが、両雄激突は次回に持ち越しでしたね。つづきは次週の稿にて。



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by sakanoueno-kumo | 2018-11-13 23:59 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

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