幕末京都逍遥 その164 「東福寺」
東山九条にある東福寺を訪れました。
ここは、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで長州軍の本陣が布かれた場所です。

嘉禎2年(1236年)、摂政の九条道家が九條家の氏寺として建立したと伝わる東福寺は、京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄え、明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭を有する大寺院です。

東福寺は紅葉の名所としても知られています。
わたしがここを訪れたのは平成29年(2017年)11月26日で、観光客でたいへん賑わっており、庭園はほとんど牛歩状態でした。

東福寺は東山の東南端、伏見と接する位置にあります。
大坂城から鳥羽街道を北上して鳥羽と伏見の2方に分かれた幕府軍に対して、長州軍は主に伏見方面の戦闘を担当しました。

山門の横には、「維新戦役忠魂之碑」が建てられています。

篆額は山縣有朋の書だそうです。
大正6年(1917年)11月に行われた長州藩殉難の士五十回忌に建てられたそうで、表には戊辰戦争の概略と長州軍の活躍をたたえた文面、裏には鳥羽・伏見の戦いで戦死した48名の名前が刻まれています。

その横には「防長忠魂碑」と刻まれた石碑も。

せっかくなので、紅葉の写真をアップしておきます。





鳥羽・伏見の戦いは1月だったので、紅葉は散ったあとですね。
長州藩にとっては、文久3年(1863年)の八月十八日の政変で追放されて以来、約4年半ぶりの入京がここ東福寺だったわけです。
断腸の思いで見た景色だったんじゃないでしょうか。
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by sakanoueno-kumo | 2018-11-17 01:21 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)