人気ブログランキング | 話題のタグを見る

幕末京都逍遥 その166 「退耕庵(戊辰役殉難士菩提所)」

「その164」で紹介した東福寺の塔頭のひとつである退耕庵は、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで、東福寺とともに長州軍のが布かれた場所です。

そして戦後、長州藩戦死者の菩提所となりました。


幕末京都逍遥 その166 「退耕庵(戊辰役殉難士菩提所)」_e0158128_13473696.jpg


現在、山門の横には、「戊辰役殉難士菩提所」と刻まれた石碑が建ちます。


幕末京都逍遥 その166 「退耕庵(戊辰役殉難士菩提所)」_e0158128_13474276.jpg


駒札の説明書きによると、退耕庵は貞和2年(1346年)東福寺第43世住持性海霊見によって創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃しましたが、慶長4年(1599年)に安国寺恵瓊によって再興されたそうです。


幕末京都逍遥 その166 「退耕庵(戊辰役殉難士菩提所)」_e0158128_13493585.jpg


茶室・作夢軒は、再興の際に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、ここで、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが、関が原の戦いの謀議を行ったと伝えられているそうです。

それはすごい。


幕末京都逍遥 その166 「退耕庵(戊辰役殉難士菩提所)」_e0158128_13510393.jpg


ここが長州藩戦死者の菩提所となったのは、恵瓊が住持したということで毛利家との縁も深かったのかもしれませんね。


幕末京都逍遥 その166 「退耕庵(戊辰役殉難士菩提所)」_e0158128_13510670.jpg


維新後、「その78」で紹介した尊攘堂を建てて勤王の志士を慰霊に力を注いでいた品川弥二郎は、長州と退耕庵との浅からぬ縁に鑑み、明治27年(1894年)退耕庵維持会を作って後援していたそうです。

ここの本堂には、「その165」で紹介した防長藩士の墓に眠る48人の位牌が安置されています。




「幕末京都逍遥」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

幕末京都逍遥


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2018-11-23 01:46 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

<< 幕末京都逍遥 その167 「臥... 西郷どん 第43話「さらば、東... >>