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幕末京都逍遥 その167 「臥雲山即宗院」

「その164」で紹介した東福寺の塔頭のひとつである臥雲山即宗院は、薩摩藩ゆかりの寺院として知られています。


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即宗院は、南北朝時代の元中4年(1387年)に薩摩国の守護大名だった6代目・島津氏久の菩提を弔うため創建されました。

その後、永禄12年(1569年)に火災で焼失しますが、慶長18年(1613年)、島津家久よって再興され、以来、薩摩藩の畿内菩提所となりました。


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即宗院が建立される以前は、関白・藤原兼実が晩年に営んだ山荘「月輪殿」があったとされます。

その名残を感じさせる庭園は現在京都市名勝に指定され、紅葉の名所としても知られています。


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幕末、島津斉彬の養女として第13代将軍徳川家定に輿入れすることとなった篤姫も、薩摩から江戸にむかう途中の嘉永6年10月5日(1853年11月5日)に、ここを訪れたという記録が残っています。


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境内の奥へと進むと、かつて採薪亭という茶亭があった場所があります。

安政の大獄の嵐が吹き荒れた安政5年(1858年)、ここにあった採薪亭で西郷隆盛と清水寺塔頭・成就院の住職・月照が、たびたび密議を交わしていたと伝えられます。


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採薪亭の跡地には「西郷隆盛密議の地」と書かれた説明書が立っています。


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ここ即宗院は、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍の屯所となりました。

鳥羽・伏見の戦いから会津戦争までの薩摩藩士の戦死者は524名とされています。

西郷隆盛は、その戦死者を弔うための薩摩藩士東征戦亡之碑を、ここ即宗院に建立します。


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その碑は、境内の裏山にあります。


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石段を登りきると石の鳥居があり、その奥の玉垣に囲まれた空間に石碑があります。


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正面には、西郷隆盛が藩士の霊を供養するために斎戒沐浴し、524霊の揮毫を行ったという石碑が5基、整然と並びます。


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これらすべて、西郷の揮毫といわれています。

この中には、西郷隆盛のすぐ下の弟で西郷従道の兄にあたる西郷吉二郎の名が刻まれているというのですが・・・。


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ありました・・・って、よく見ると「西郷宗次郎」となっていますね。

別人なのか、あるいは変名なのか、それとも誤記なのか・・・でも、弟の名前を間違えたりしないですよね。


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いちばん奥には、篆額「東征戦亡之碑」と記された石碑が建ちます。

その下の碑文は漢文なので詳しくはわかりませんが、「慶應之役其」という書き出しから想像するに、戊辰戦争の概要を記した文章だと思われます。

で、文末を見ると・・・。


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「西郷隆盛 謹書」とあります。

西郷の本当の名は「隆永」で、「隆盛」は父の名を間違って登録してしまったものだったため、西郷は終生、手紙などで「隆盛」の名を使ったことはなかったといいますが、公式な文書などでは、「隆盛」と記していました。


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過日、大阪歴史博物館で行われていた「西郷どん展」を観覧してきたのですが、そこで、ここ「薩摩藩士東征戦亡之碑」の設計図が展示されていました。

そこで紹介されていた文によると、除幕式に西郷は参列し「南洲翁の姿はフロックコートに白羽二重の帯に草履を履き、大小を手挟み、しずしず霊前にしばしもくとう、おもむろに祭文を読まれ、しばらくして、涙、滂沱として慟哭また慟哭、声なく全軍の士また貰い泣き、また慟哭」と、西郷の下僕だった永田熊吉が回想しています。


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せっかくなので石碑の前で記念撮影。


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この奥にある墓地には、人斬り新兵衛の異名で知られる田中新兵衛や、生麦村で大名行列を横切る英国人に斬りつけた奈良原喜左衛門、イギリス公使・パークス襲撃事件で負傷しながらも襲撃犯からパークスを守った中井弘などの墓があるそうですが、一般の方の墓もあるということで、残念ながら観光客は立入禁止でした。

最後に、石段を降りる際に目の前に広がっていた紅葉に彩られた景色をアップします。


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さて、明治維新150年にあたる年を記念して、今年2月から「幕末京都逍遥シリーズ」を続けてまいりましたが、本稿をもってひとまず終わりにさせていただきます。

167稿に渡った幕末史跡ですが、これを巡るのに、約2年かかりました。

1日で4~5ヶ所まわっていたのですが、30~40回は京都に足を運んだんじゃないでしょうか。

神戸から京都は、同じ関西ではあっても決して近くはなく、交通費も結構かかります。

われながら、よくやったなあと・・・。

楽しかったですけどね。

ただ、結構くまなく調べたと思っていますが、わたしの知らない幕末史跡が京都にはまだ残っているかもしれません。

そのときは、また続きをやろうと思いますので、その際はまたお付き合いください。




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by sakanoueno-kumo | 2018-11-24 03:50 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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