江戸城を歩く。 その3 「桜田門」

「その2」の続きです。

皇居正門から二重橋濠沿いに南へ歩きます。

打込み接ぎの高い石垣が続きます。


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濠が直角に西へ曲がったところに、渡櫓門が見えます。

皇居から霞が関エリアに抜ける「桜田門」です。


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桜田門といえば、なんと言っても思い出されるのは、幕末に起きた「桜田門外の変」でしょう。

安政7年3月3日(1860年3月24日)、ここ江戸城桜田門外水戸藩脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老・井伊直弼暗殺した事件です。


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安政の大獄の嵐が吹き荒れた安政6年(1859年)が暮れて、大老・井伊直弼独裁専制志士弾圧に反発する空気はいよいよ緊迫し、「除奸」すなわち奸物・井伊を暗殺しようという計画が、水戸藩士と薩摩藩士のあいだで進められました。

過激派の中心人物だった水戸藩士の高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介らは、ひそかに脱藩して江戸に入り、薩摩藩士・有村次左衛門らとともに、3月3日上巳の節句の日、登城する井伊直弼を桜田門外において襲撃する手はずをととのえます。


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この年の3月3日は、現在の暦でいえば3月24日で、早ければ桜が咲き始める時期でしたが、この日は季節外れの大雪でした。

雪のため視界が悪かったのか、あるいは警護が杜撰だったのか、井伊を乗せた駕籠の行列総勢60余人は、たった18人の浪士たちの手によってさんざんに斬りつけられます。

駕籠内にいた直弼は、最初に短銃で撃たれて重傷を負っていたため駕籠から動けず、供回りの彦根藩士は狼狽して多くが遁走、駕籠は地上に捨て置かれたままでした。

襲撃者たちは駕籠の外から何度も刀を突き刺した後、瀕死の直弼を駕籠から引きずり出し、首を刎ねました。

享年46。

幕府大老となって、わずか2年足らずの命でした。


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この暗殺によって、直弼が守ろうとした幕府権力ならびに独裁的政治秩序は急速に失墜していきます。

水戸の名もなき下級藩士たちの手によって時勢が動いたという現実。

この「桜田門外の変」が全国の攘夷派志士たちに与えた衝撃ははかり知れず、これをきっかけに、「天誅」と称した血なまぐさい暗殺が繰り返されるようになります。

その意味では、直弼の強権政治は新しい反幕・倒幕勢力を生み出す要因となり、またその死は、幕府の権威を落とすことになったといえるでしょうか。


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作家・司馬遼太郎氏は、短編集『幕末』のなかで、次のように述べています。


「暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外と言える。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。・・・中略・・・この事件のどの死者にも、歴史は犬死させていない。」


この事件がなくても、やがて幕府は崩壊したかもしれませんが、歴史の展開を早めたことは事実でしょうね。


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写真は桜田門外側の高麗門です。

この高麗門と上の渡櫓門枡形構造になっています。


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説明板によると、この門の正式名称は「外桜田門」というそうで、「その1」で紹介した桔梗門「内桜田門」といったそうです。


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「桜田門外の変」と呼ばれるくらいですから、この高麗門の外で起きたのでしょうね。


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桜田門前の交差点です。

このあたりで事件が起きたのかもしれません。


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桜田門西側の桜田濠


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桜田門東側の凱旋濠です。


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桜田門だけでずいぶん長くなっちゃいました。

次稿に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2018-12-06 23:47 | 東京の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by ZODIAC12 at 2018-12-12 23:05 x
東京は地元から近いので頻繁に出掛けます。桜田門は東京警視庁の代名詞でもありますが。

井伊直弼や「桜田門外の変」の話は既に別記事でもしましたので、ここでは少し視点を変えて。


>>この年の3月3日は、現在の暦でいえば3月24日で、早ければ桜が咲き始める時期でしたが、この日は季節外れの大雪でした。<<

この「桜田門外の変」の他、江戸前期の赤穂浪士の吉良邸討ち入りの晩も、昭和の二・二六事件の日も、これら歴史上の重大事件の起こった日は大雪が降りました。そのせいで我が国には、重大事件の起こる前兆として、大雪が降るというジンクスが生まれました。


この他にも井伊家に纏わる逸話と言えば、豪徳寺の招き猫があります。彦根のゆるキャラの「ひこにゃん」のアイディアの元になったとか。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-12-13 10:39
> ZODIAC12さん

おっしゃるように、「桜田門外の変」は季節はずれの大雪でした。
数年前に映画『桜田門外の変』が上映されましたが、その主題歌「悲しみは雪に眠る」も、季節はずれの雪を主題にした歌でした。
映画をイメージして作られた歌なのかどうかは知りませんが。
その歌を作ったのは、あの伊勢正三さんですが、そういえば、伊勢正三さんの代表曲のひとつに「なごり雪」がありますよね。
あれも、季節はずれの雪を歌った歌でしたね。
「桜田門外の変」とはなんら関係ありませんが(笑)。
雪というのは、物寂しい演出効果があり、そこに「季節はずれ」という形容がつくと、いっそうドラマチックになるのでしょう。

「吉良邸討ち入り」や「二・二六事件」は、季節はずれではないですね。
でも、雪が事件をドラマチック演出しているとい点では、同じかもしれません。
ちなみに、3日前の大河ドラマ『西郷どん』のレビューの稿でも書きましたが、明治10年(1877年)2月15日に西郷隆盛が挙兵したときも、めったに雪など降らない南国の鹿児島で50年に一度と言われた大雪が振り、積雪がありました。
西郷は鹿児島の町を出て島津久光の暮らす磯の邸の前を通過するとき、雪の積もる門前にひざまずき、両手をついて頭を下げたと伝えられます。
これも、普通に挙兵するより、ドラマチックな演出効果になってますよね。
偶然とはいえ、歴史は小説より奇なりです。

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