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西郷どん 第47話「敬天愛人」その3 ~西郷死す~

 昨日の続きです。

 明治10年(1877年)9月24日早朝、政府軍は西郷隆盛らの籠もる城山を包囲しました。政府軍は兵力の差で西郷軍を圧倒していましたが、それでも、その包囲網は幾重にも連ね、さらになどで囲って防御用の陣地を構築するといった念の入れようだったといいます。これは、政府軍の参軍・山縣有朋慎重すぎる性格が濃厚に反映していたと見られます。前稿で紹介したように、山縣は前日に西郷に宛てて畏敬の念を込めた手紙を送りましたが、それはあくまで個人的な西郷に対する友情の証であり、政府軍の総帥という立場では、これ以上この戦いを長引かせたくない、是が非にも今日の戦いで決着をつけたいという思いでこの日を向かえたのでしょう。


 午前4時頃、3発の号砲を合図に政府軍の総攻撃が開始されました。これを聞いた西郷は、きっと、「今日が死ぬ日か」と思ったに違いありません。政府軍の戦術は、五個旅団を総攻撃に当て、残りの三個旅団に警戒を命じるというものでした。


 西郷どん 第47話「敬天愛人」その3 ~西郷死す~_e0158128_15131310.jpgこの総攻撃を受けて、西郷らは洞窟前に整列し、岩崎谷に進撃して敵方を迎え撃つことに決します。この時点で、西郷軍本隊の兵力は、西郷隆盛、桐野利秋、村田新八、桂久武、池上四郎、別府晋介、辺見十郎太など、約40人になっていました。しかし、政府軍は西郷軍が岩崎谷に兵力を集中させるであろうことをあらかじめ予測しており、第4旅団の主力を岩崎谷に投入していました。この読みは見事に的中し、西郷軍の将兵は、敵弾の雨のなかに次々と命を落としていきます。


 一説には、政府軍の総攻撃が開始されて間もなく、西郷の身辺を警護していた辺見十郎太が西郷に対して切腹を勧めたものの、その時点では西郷はこれを受け入れなかったといいます。西郷は、その前後の言動からみても、自決などという考えはなかったようで、あくまで戦死にこだわっていたようです。それは、戦国武士的な気概を尊ぶ薩摩武士の美徳でもあったかもしれませんし、何より、自殺という行為は、西郷の行動哲学である「敬天愛人」に反するものだったからとも考えられます。人は天命というものを天から与えられ、それに従って生きている。彼は彼の義を貫くために戦いに及んだ。だから、その死は自決ではなく戦死でなければならない。そう考えていたのではないでしょうか。


 西郷どん 第47話「敬天愛人」その3 ~西郷死す~_e0158128_17565901.jpgしかし、やがて西郷は島津応吉久能邸門前でに敵弾を浴びます。これにより、西郷は自力での歩行は困難となりました。西郷の理想は最後まで戦って戦死することでしたが、事ここに至り、自らの命運が尽きたことを悟った西郷は、負傷して駕籠に乗っていた別府晋介を顧みて、こう言って介錯を乞うたといいます。


「晋どん、もう、ここらでよか。」


 西郷はそう呼びかけると、東方(明治天皇の住む皇居の方角)に向って手を合わせて跪座しました。これを見た別府は「ごめんなったもんし(お許しください)」と叫び、泣きながら西郷の首を落としたとされています。享年51。島津斉彬に認められて以来、四半世紀に及んだ彼の長い長い志士人生が幕を閉じました。


 ドラマでは、西郷の介錯のシーンは描かれなかったですね。この西郷の最期については、西郷軍の生き残りである加治木常樹という人物の目撃談によるものですが、別の説では、桐野利秋が西郷を射殺したという説もあり、その真偽は定かではありません。ただ、現存する政府軍の屍体検査書には、「頭体離断」と記されており、生きている間か死んだあとかはわかりませんが、誰かが西郷の首を落としたことは間違いありません。ドラマで介錯のシーンを描かなかったのは、諸説ある西郷の死を曖昧なままにしたのかもしれませんし、あるいは、西郷の望んだ戦死による最期を遂げさせたのかもしれませんね。


 西郷の死を見守っていた桐野や村田ら配下の者たちは、その後、次々に突撃し、敵弾に斃れました。あるいはこの戦争の実質的首魁だったかもしれない桐野は、最後まで塁上に身を晒して凄まじいばかりの勇戦を見せたといいますが、最後は額を打ち抜かれて戦死しました。そして総攻撃が始まって約3時間後、西郷軍の主だった者は全員討ち死にし、戦いは終焉を向かえます。


 結局のところ、西郷にとって西南戦争とはなんだったのでしょう。よく言われるのは、西郷は不平士族たちの憤懣を一身に受け止め、彼らに身を預けて戦いに一身を投じることで、自身が作り上げた明治維新を完結させたとする解釈があり、今回のドラマでも、その解釈に則った描かれ方でした。しかし、わたしには、それは多分に西郷を罪人にしたくないという後世の心情が作り出した虚像のように思えてなりません。西郷は、西郷なりに思うところがあって挙兵した。それは不平士族たちのためではなく、自身の思う国家を創るため、もう一度維新をやり直すための決起で、壮士たちの暴発によってその決起が少し早まってしまったものの、挙兵当初の西郷は、決して負けるとは思っていなかった。自身の声望を以てすれば、現行政府を覆すことも難しくはない、そう思っての決起だったんじゃないかと思います。しかし、その見通しは甘かった。そして、結果的に、自身の本意ではなかったにせよ、自身の死によって侍の時代が終焉を向かえ、維新を完結させることになったんじゃないかと。


 作家・司馬遼太郎氏は、その著書『翔ぶが如く』のなかで、このように評しています。


 「西郷とその徒の死は、前時代からひきついできたエネルギーの終焉であったであろう。そのエネルギーというのはただに江戸期だけではなく、室町期あるいはさらに鎌倉期からひきつがれてきているなにごとかであったかもしれない。」


 西郷が死んだ明治10年(1877年)9月24日以降、夜空にひとつの星がひときわ大きく輝くようになりました。この星の正体は、楕円形の軌道を描いてこの年の秋に地球に接近していた火星だったのですが、天体の知識に乏しかった当時の人々はこの星を「西郷星」と名付け、崇めたといいます。また、同時期に火星に寄り添って輝いていた土星を「桐野星」とも呼んだとか。当時の人々が、いかに西郷たちの死を悼んだかということがわかるエピソードですね。西郷はその死後も、星になって人々の心に宿ったんですね。


 さて、西郷の死を以て最終稿としたかったのですが、もうひとつ、語らなければならないことがありますね。大久保利通の死です。明日、もう一稿だけお付き合いください。



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by sakanoueno-kumo | 2018-12-19 01:27 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)

 

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