月山富田城跡登城記 その5 「塩治興久の墓」

「その4」の続きです。

月山富田城のある月山の麓に、尼子氏一族の塩冶興久の墓と伝わる墓石があります。

塩冶興久は尼子氏の中興の祖・尼子経久の三男で、出雲国西部で大きな勢力を持つ名族・塩冶氏養子となり、塩冶姓を名乗っていました。


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享禄3年(1530年)、興久は父・経久に対して反乱を起こし、出雲国を追放されます。

『陰徳太平記』によれば、所領加増が認められなかったために反乱を起こしたとありますが、実際には、尼子家中における重臣たちの勢力争いが背景にあったといわれます。

経久の時代に一気に勢力を拡大した尼子氏でしたが、その分、在来の国人領主たちの尼子氏統治に対する不満も大きく、かつて出雲国守護を務めたこともある名族・塩冶氏を押し立てての全面対決に至ったと考えられます。


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説明板では、「尼子興久墓」となっています。

塩冶姓ではなんでダメなんでしょうね。


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出雲国を追われた興久は、妻の実家である山内氏を頼って備後国へと逃れて抵抗を続けますが、その後、天文3年(1534年)に自害

乱は終決しました。

この乱が尼子氏の勝利で終わったことにより、出雲国における尼子氏の権力基盤は盤石となっていきます。

尼子氏の栄華を築いたのは経久と言われますが、逆の意味で、興久もその功労者といえるかもしれません。


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さて、シリーズ5回に渡って紹介してきた月山富田城跡めぐりですが、本稿でひとまず終わりです。

月山富田城跡周辺には他にも尼子氏関連の史跡が数多くあったのですが、この日は時間的制約があってすべてを回ることが出来ませんでした。

また、機会を見つけて訪れてみたいと思います。

神戸から車で3時間以上かかるんですけどね。




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by sakanoueno-kumo | 2019-02-09 20:01 | 島根の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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