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日本最古の現存天守、丸岡城を訪ねて。 その2 <天守・内部>

「その1」の続きです。

丸岡城天守東面の石段を上って、天守内に入ります。


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石段には手すりがないので、お年寄りや小さな子どもはひとりで上るのは危ないかもしれません。


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上から見たらこんな感じ。

     ↓↓↓


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ちょっと、怖いですよね。


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天守は2重3層なので、外観は2階建に見えますが、なかは3階建になっています。

まずは1階


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1階は外周に「入側」と呼ばれる廊下で囲われています。

別名「武者走」ともいうそうで、一間(約1.8m)あります。


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その入側にある鉄砲穴の「狭間」

もっとも原始的なかたちの箱型が特徴です。

箱型なので、前にしか撃てません。

下に向けて撃たないと意味がないと思うのですが、この狭間、役に立つんでしょうか?


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こちらは、武者窓と呼ばれる格子窓で、開け閉めは棒を使って突き上げるという古いタイプの窓です。


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そして、こちらは「格子出窓」

前稿で、外側から見た写真も紹介しています。

この格子出窓は、3方への攻撃が可能であると共に、石落としの機能もあります。


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入側に囲まれた室内を「身舎(母屋)」といいます。

松岡城1階の身舎は約20坪の長方形で、構造的には4部屋の形ですが、敷居も鴨居も引き戸も入っていません。


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丸岡城天守の最も特徴的なところは、いわゆる大黒柱といえる通し柱がなく、身舎の中央を東西に走る6本の太い柱が、天守の全重量を支えています。

この6本の柱が上の太い梁を支え、その梁に2階の2本の柱が乗るかたちです。


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6本の柱のなかでも最も古いと見られるのが、この柱だそうで、天正4年(1576年)に柴田勝豊築城した当時からの柱だと考えられているそうです。


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角が削れていますが、これは、鉋ではなく手斧で削ったものだそうです。

柱の角の面取りの工法などから、その時代が想定できるそうです。


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丸岡城の階段は現存天守12城のなかで最も急で、傾斜角約65度、一段あたりの段差27cm、踏面も最小で12.5cmしかありません。

そのため、このようにロープが設置されていましが、わたしが訪れたこの日も、お年寄りが上るのを断念していました。


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2階は1階の約3分の1の12坪で、入側はありません。

中央の2本の柱は、1階の6本の柱が支える梁の上に乗っています。

東西には一階屋根の破風を利用した狭い部屋(破風部屋)があり、南北には古風な切妻屋根の出部屋があります。


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これが出部屋。


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そしてこちらが破風部屋です。

破風部屋の窓からは、屋根瓦が覗けます。


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丸岡城の屋根瓦は、全国的にも珍しい笏谷石製の石瓦が使用されています。

ここと同時進行で築かれた柴田勝家北ノ庄城も、石瓦が使用されていたとルイス・フロイスの記録に残されています。

これは、寒冷地という気候事情からくるものなんだとか。

石瓦は約6000枚あるそうで、1枚が約20~60kg、屋根全体で120トンになるそうです。


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2階から3階の階段は更に急です。

階段というより、ほとんど梯子ですね。


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3階の広さは2階と同じで、入側はありませんが、窓から360度見渡せます。


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こちらは西の眺望。

15kmほど向こうが海で、有名な東尋坊があります。


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こちらは

手前に見える小学校の校庭あたりに、かつて二の丸御殿があったそうです。


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そして

正面に見える山に、丸岡城築城前に柴田勝豊が築いたと伝わる豊原城がありました。


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最後にの眺望。

福井市の方面です。

勝豊の時代には北ノ庄城が、江戸時代には福井城が見えたのでしょうね。


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さて、天守を制覇しましたが、もう1回だけシリーズを続けます。




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by sakanoueno-kumo | 2019-03-08 17:28 | 福井の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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