一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。 その2 「復原町並み」
「その1」の続きです。
広大な一乗谷朝倉氏遺跡の一角に、城下町を復原したゾーンがあります。
今回はその復原町並を歩きます。
復原町並は土塀で囲われています。
塀に囲われた重臣の屋敷が山側に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が形成されていた様子がリアルに再現されています。
発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基いて忠実に再現されています。
町屋の入口には色とりどりの暖簾がかけられています。
こちらの暖簾には「刃」という文字があります。
どうやら鍛冶屋のようですね。
こちらは染物屋。
なかには染料の瓶がならびます。
こちらの建物には暖簾がかかっていませんが・・・。
中に入ると、焼き物がずらりと並んでいました。
陶器屋のようです。
裏庭に出てみました。
庭には隣家との垣根がありません。
井戸跡ですね。
こちらは、どうやら武家屋敷の門のようです。
武家屋敷は町家と違って四方を土塀で囲われています。
敷地内には6間×4間の主殿があり、あと、納屋や離れもあります。
庭の中央には井戸が。
これらはすべて、発掘された礎石に基いて復原されたものです。
こちらは使用人が暮らしていたとされる納屋です。
厠です。
こちらが主殿です。
入ってすぐの台所では、使用人たちが食事の準備中です。
奥の座敷では、武士が将棋を指しています。
その横には「越前朝倉象棋」と書かれた看板が見えます。
調べてみると、普通の将棋とはちょっと違うみたいで、「酔象(すいぞう)」と呼ばれる駒を使うそうです。
酔象は駒を並べたとき王将のすぐ前に置くそうで、真後ろ以外の7方向へ1マスずつ移動でき、さらに、相手陣に入ると成って「太子」となり王将と同じ動きをするそうです。
また、自軍の王将がとられてしまっても、王将の代わりとして試合を続行できるんだそうで・・・。
いわば王の影武者ですね。
昔の将棋は、実践的です。
その隣には鎧が展示されていたのですが、角度的に撮影が難しかったので、その説明板のみ撮影。
朝倉氏最後の当主・朝倉義景と友好関係にあった北近江の小谷城主・浅井長政の厚い信義にあやかって、平成9年(1997年)に作られた鎧だそうです。
義景と長政、織田信長によって薄濃の髑髏にされたふたりですね。
平成になって再び同盟を結んでいたとは知りませんでした。
さて、復原町並をあとにして、「その3」では朝倉氏館跡を歩きます。
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by sakanoueno-kumo | 2019-03-15 20:09 | 福井の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)