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但馬八木城跡登城記 その1 ~登山道~

先日の稿で紹介した但馬朝倉城跡から5kmほど西に、但馬八木城跡があります。

八木城は、戦国時代の八木氏、豊臣時代の別所氏が居を構えた大規模な山城で、現在、国指定の史跡となっています。


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北近畿豊岡自動車道の八鹿氷ノ山インターで降りて国道9号線を3kmほど西に走ると、看板があります。

写真右手の山の頂に、八木城跡があります。


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車は麓にある八木城交流館の駐車場に停めさせてもらえます。

ここでパンフレットももらえます(パンフは高速道路を降りてすぐの道の駅「ようか但馬蔵」でももらえます)。


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登山口には、案内板やら石碑やらが至るところに設置されているので、迷うことはありません。


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登山道の案内図を見ると、「八木城跡」「土城跡」という表記があります。

八木城は標高303mの山頂に石垣跡が残る城山と、そこから北西へ450mほど尾根伝いに登った標高409mのところにある土塁作りの土城山の2か所に城跡があり、一般に標高303mの石垣作りの城が八木城、標高409mの土塁作りの城を八木土城(別名:八木古城)と呼びますが、この2つを合わせて八木城跡と呼ぶ場合もあります。


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防獣柵を開けて中に入ると、いよいよ登山道です。


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城跡まで900m

もっとも、これは標高303mの城跡を指しているので、標高409mの八木土城跡までは1.5kmほどあります。


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登り始めて間もなく、樹木の間から集落が見渡せる場所に説明板が設置されています。

かつてここには八木城主の城館があったと伝えられています。


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登山道は整備されているので、道なき道を進むような場所はありません。

傾斜も緩やかな尾根伝いの場所が多く、登山にあまり慣れていない人でも登れそうなコースです。


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ところどころに残りの距離を表示した立札が設置されています。

これって、けっこうありがたい。


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残り500mというあたりから、石垣跡と思われる痕跡が各所に見られはじめました。


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八木城の歴史は古く、伝承によると、康平6年(1063年)に前九年の役で功があった閉伊頼国が、源頼家から但馬国を与えられて八木の地に築城したのが始まりとされています。

その後、建久5年(1194年)に朝倉高清源頼家から但馬国を与えられて朝倉城を築城すると、朝倉氏と閉伊氏の間で何度か合戦があり、朝倉氏が勝利すると、高清の次男・重清を八木城の城主とし、八木の姓を名乗られ八木重清となったと伝えられます。

ただ、別の史料によれば、高清の長男・安高が八木氏を興し、八木城主となったとも言われます。

このあたりは曖昧なんでしょうね。


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以後、八木氏は15代、300年以上にわたりこの地で栄え、第6代城主・八木重家は、但馬国守護山名時氏、山名時義の重臣となり、太田垣氏、垣屋氏、田結庄氏と共に山名四天王に数えられました。


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残り250mです。


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土塁の穴には「秋葉さん」と呼ばれる石仏があります。

ここは八木城跡の東面第7郭

ここから、本格的な城跡となります。

長くなったので、続きは「その2」にて。




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by sakanoueno-kumo | 2019-03-29 15:56 | 兵庫の史跡・観光 | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2019-04-03 17:09
八木城ですか。
初めて知りました。
やはり、関西は旧跡の宝庫ですね。
あ、そういえば、私も先日、福岡市内の小丘に登ったら、「あ、これは城だ」というのがありましたよ。
おそらく、まったく調査はされてないと思いますが。
南北朝くらいまでなら立派に城として機能したと思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2019-04-04 01:47
> heitarohさん

わたしも、山城めぐりを始めて思ったのは、現在わかっている山城跡以外にも、城はたくさんあったんじゃないかということでした。
戦国時代だけじゃなく、南北朝時代や鎌倉時代まで遡れば、まだまだ知られていない城がありそうですよね。

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