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いだてん~東京オリムピック噺~ 第13話「復活」 ~消えた日本人選手とポルトガル選手の死~

日本初のオリンピック選手として第5回ストックホルムオリンピックマラソンに出場した金栗四三選手でしたが、その成績は途中棄権という残念な結果となりました。その原因は日射病だったといいます。現在の熱中症ですね。この日のストックホルムは陽のあたる場所で40度を超える酷暑だったそうで、68名の競技参加者中、ほぼ半数の33名がゴールできなかったといいますから、その過酷さが窺いしれます。金栗はスタートで出遅れて最後尾になったものの、その後、追い上げて17、18位あたりまで順位を上げていたといいますが、折返し地点を過ぎたあたりから急激な疲労に襲われ、頭がボーッとし始めていたようです。後年、金栗はこのように述懐しています。


 「途中でニ、三十人抜いて折返し点をまわり、これなら相当いけるぞと思ったのも束の間、脚が痛みだし汗が目に入り、十五マイルを過ぎるあたりから意識がぼんやりし始めて、途中で水を飲んだりかぶったりしたのがなおいけなかったか」(『日本スポーツ百年』日本体育協会編)


e0158128_19143806.jpg 水を飲んだりかぶったりしたのは間違いではなかったのでしょうが、それ以上に過酷な条件が重なったのでしょうね。彼は歩いたり走ったりを繰り返すようになり、とうとう26.7km地点でコースをはずれ、林のなかに消えてしまいました。そして、倒れていたところを地元住民のペトレ家の人々に助けられます。おそらく、意識朦朧状態でペトレ家の庭に迷い込んだのでしょう。ペトレ家の人々は彼を自宅ベッドで休ませ、介抱しました。彼が目を覚ましたのはだったとも、翌日の朝だったともいわれます。意識の戻った金栗は、競技場へは戻らずまっすぐ宿舎に帰りました。そのため、正式な棄権の届出が大会本部に提出されておらず、「日本人ランナーが消えた」として現地ではちょっとした騒ぎになったようです。以後、スウェーデンでは、金栗四三は「消えた日本人選手」として後世に名を残すことになります。


 レース翌日、明治45年(1912年)7月15日の金栗の日記には、このように記されています。


 「大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。余の一生の最も重大なる記念すべき日になりしに。しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」


 日の丸を背負って戦うことの重圧がひしひしと伝わってくる文章ですね。


e0158128_22521862.jpg この大会のマラソンでは、もうひとり、大きな話題となった選手がいました。それは、ドラマで金栗が足袋をプレゼントしていたポルトガルのフランシスコ・ラザロ選手。彼は金栗と同じく途中棄権してしまいますが、金栗と違うのは、その翌朝、担ぎ込まれた病院で死んでしまいます。21歳の若さでした。ラザロ選手は開会式で旗手を務めており、ポルトガル国民から絶大な期待が寄せられていた選手だったそうです。死因は現代でいう熱中症だったようですが、あとでわかったことですが、彼は暑さ対策として他の選手たちのように頭を何かで覆うようなことをしておらず、独自の対策として、身体中に油を塗って太陽光線から身を守ろうという方法をとっていたそうです。このため発汗が抑えられ、体温の調整がうまくいかなくなり、結果、死に至ったということだったようです。


 現代のわたしたちが聞けば、なんと愚かなことを、と思ってしまいますが、当時の彼らにとっては、いたって真面目に考えた対策だったんですね。まだスポーツ生理学なんてものは存在しなかった時代の話ですから。もっとも、わたしらが学生時代の昭和の終わり頃でも、まだ、「水を飲んだらかえってバテる」なんて間違った指導法が普通にまかり通っていましたからね。ラザロ選手のことも、決して笑えません。


 このラザロ選手の死に対し、スウェーデン国民は深く心を傷め、大会が済んだあとにオリンピック競技場で追悼の音楽会を開き、その売上をラザロ選手の家族に贈ったそうです。金栗を介抱したペトレ家の人々といい、ラザロ選手の死を悼んだたくさんの人々といい、当時のスウェーデン国民は、国あげての「お・も・て・な・し精神」だったのかもしれません。来年の東京オリンピックでも、見倣わないといけないですね。



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by sakanoueno-kumo | 2019-04-02 21:04 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Comments(0)  

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