但馬八木城跡登城記 その4 ~八木土城(八木古城)跡~
「その3」の続きです。
八木城本丸跡の北西にある防獣柵を出て、さらに北西に200mほど登ると、八木土城(八木古城)跡があります。

登山道は尾根伝いですが、傾斜はけっこうキツイです。

200mほど登ると、郭跡とみられる削平地にでます。
ここから、八木土城の縄張りです。

こちらがその縄張り図。
八木土城は標高409mの山頂に主郭を置き、南北の尾根伝いに15の郭が連続する全長370mの山城です。
この縄張り図でいえば、上の削平地は第11郭にあたります。

こちらは第10郭。
写真左端(西側)に土塁跡が見られます。

ここは第9郭。
15ある郭のなかでいちばん広い空間です。

その上の第8郭。

そして第7郭。

第6郭です。
ここも、左側に土塁跡が見られます。

土塁伝いに第5郭に登ります。

第5郭です。
入り口が食違い虎口になっています。


第5郭にも、土塁跡がはっきりと残っています。

第5郭のから見上げた主郭です。
上の縄張り図を見るとわかるように、第2~4郭は主郭の北側にあるため、この第5郭のすぐ上が主郭となっています。

主郭です。
主郭は小規模で、16m×12mの楕円形をしています。
下の写真は主郭から見下ろした第5郭。

これまでの稿でも述べてきたとおり、八木城の歴史は古く、伝承によると、康平6年(1063年)に前九年の役で功があった閉伊頼国が、源頼家から但馬国を与えられて八木の地に築城したのが始まりとされており、その後、閉伊を破った朝倉氏の流れをくむ八木氏が15代300年のあいだ城主を務め、織豊時代に別所重宗・吉治が改修し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのあと、廃城となりました。

ここ八木土城は八木氏の時代の城跡と考えられており、八木氏の時代はここ八木土城と八木城が一連となった城郭であり、のちに別所氏が八木城に石垣を築いて独立させたため、2城に分離したという説があります。
また、別の説では、八木土城は閉伊氏の時代の城で、八木氏の時代には、八木城が主城だったとも言われます。
いずれにせよ、鎌倉時代からの城として重要な遺構が残っていることから、平成9年(1997年)3月6日に、八木土城、八木石城を合わせて国の史跡に指定されました。

さて、これにて但馬八木城をすべて攻略しました。
これにて登城記を終わります。
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by sakanoueno-kumo | 2019-04-08 22:12 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)