有子山城跡と出石城跡登城記。 その4 ~出石城~
「その3」で有子山城跡をすべて攻略したので、下山して麓の出石城跡を散策します。
出石城は関ヶ原の戦い後の慶長9年(1604年)、有子山城主だった小出吉英が山頂の城を廃し、麓にあった居館を整備して出石城と命名し、幕府に居城として届けた城です。

橋や城門は後世のものですが、石垣は江戸期のものです。
背後にそびえる山が、有子山です。


城門の横に目を向けると、「続日本100名城選定」と印刷された横断幕が。

城門をくぐると、西郭があり、そこから見た二ノ丸の石垣と西隅櫓が上の写真です。

こちらが、その西郭。

二ノ丸に登る石段です。

二ノ丸です。

「二の丸跡」の石碑の背後に見えるのは、本丸西隅櫓です。
昭和43年(1968年)に建てられた模擬櫓。


二ノ丸東側を見上げると、本丸東隅櫓が見えます。
これも同じく昭和43年(1968年)の模擬櫓。



本丸西側の石垣と西隅櫓です。

本丸に登ってきました。

本丸といっても、最上段ではありません。
もともと有子山城の麓の居館だったところを改築した城ですから、籠城戦を想定して築かれてはいないんですね。



本丸の背後には、高さ13.5mの高石垣がそびえます。
但馬地方の城跡では、最大級の石垣だそうです。

東隅櫓です。

西隅櫓です。

江戸時代に入り、徳川幕府によって制定された一国一城令により、出石城は但馬国唯一の城郭となります。
やがて9代続いた小出氏は無嗣改易となり、その後、出石藩主は松平忠周から仙石政明へと引き継がれ、以後、廃藩置県まで仙石氏7代の居城となります。

本丸には、その仙石氏の中興の祖である仙石秀久を祀った感応殿が鎮座します。

本丸を出て、さらに上段の郭に向かいます。
その道中、本丸東側にある山里丸です。

苔むした高石垣。

そして最上段の郭。
ここには有子山稲荷神社が鎮座することから、稲荷郭と呼ばれます。


社殿は江戸後期のものですが、有子山稲荷の始まりは、小出吉英が城内鎮護のために有子山城にあった稲荷社を移したものとも、旧領の岸和田の稲荷社の分霊を勧請したものともいわれます。


稲木郭から本丸を見下ろします。

稲荷郭から見た出石の城下町です。

出石の城下町のシンボル、辰鼓楼も見えます。

参道を通って下山しましょう。

辰鼓楼です。
背後の有子山山頂に、有子山城本丸石垣がかろうじて見えますね。
辰鼓楼については、以前の拙稿を一読ください(参照:日本最古の時計台~辰鼓櫓~)。

せっかく出石に来たので、出石そばを食べて帰りましょう。
最後に、続日本100名城のスタンプです。

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by sakanoueno-kumo | 2019-04-14 12:08 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















