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但馬国守護大名山名氏の本拠、此隅山城登城記。 <前編>

先日の稿で紹介した有子山城、出石城から3kmほど北上したところに、此隅山城跡があります。

此隅山城は但馬国の守護大名・山名氏が有子山城に移る前に拠点としていた城で、有子山城と合わせて「山名氏城跡」として国の史跡に指定されています。


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登山口は兵庫県豊岡市出石町にある「いずし古代学習館」の裏側にあります。


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説明板と縄張り図です。


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登山道は見学者用に整備されているので、進路を迷うようなことはありません。


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此隅山城跡の城主・山名氏は、もとは新田氏の流れをくむ関東上野国の武士で、足利尊氏にしたがって室町幕府成立の騒乱で活躍します。

室町幕府の四職家で最大級の大名となった山名氏は、その一族が但馬、因幡、丹波、美作など日本全国66カ国中11カ国守護職を兼帯して「六分の一殿」と呼ばれました。

元中8年/明徳2年(1391年)の明徳の乱によって、一族の内紛を起こしたために一時衰退しましたが、嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で勢力を回復し、応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱では、山名宗全(持豊)西軍の総帥となりました。

但馬国はこの山名氏の根拠地であり、戦国時代まで一貫して山名氏が守護大名としてこの但馬国を治めました。


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道中、急勾配の道はロープが張られていました。

けっこうキツイ。


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主郭まで300mとあります。


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急勾配の道を登りきったところに、郭跡のような削平地があります。


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説明板が設置されています。


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郭を過ぎたところに、堀切跡らしき地形が見られました。


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さらに進むと、今度ははっきりと分かる堀切跡があります。


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その説明板です。


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さらに進むと、主郭西郭への分岐点があります。

まずは西郭に行ってみましょう。


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何やら説明板が見えます。


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土塁跡のようです。


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さらに尾根伝いに西へ向かいます。


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説明板らしきものが見えてきました。

どうやら、ここが西郭のようです。


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案内板です。

汚れててさっぱり読めない(苦笑)。


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西郭からの眺望です。


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西郭の真ん中には、大きな盛り土のコブがあります。

土塁?

何の遺構かよくわかりません。


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さて、引き返して主郭に向かいましょう。

続きは「後編」にて。




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by sakanoueno-kumo | 2019-04-18 00:54 | 兵庫の史跡・観光 | Comments(0)  

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