人気ブログランキング |

いだてん~東京オリムピック噺~ 第15話「ああ結婚」 ~金栗四三の結婚~

 「しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」


e0158128_19143806.jpg ストックホルムで途中棄権した翌日の日記にこう記した金栗四三は、その誓いどおり、帰国するとすぐに4年後のオリンピックに向けてトレーニングを開始しました。日本人初のオリンピック選手として経験したことを未来に繋げねばならない。彼は自身の失敗を教訓に、まずは暑さを克服すること、そして欧州の硬い石畳や舗装された道路への対策など、様々な工夫を凝らして練習に励みます。そして大正3年(1914年)に東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した彼は、当初、名古屋の愛知県立第一中学校(現・愛知県立旭丘高校)の教師に赴任することが内定していましたが、悩んだすえ、この話を断ったそうです。理由は、次のオリンピックに向けての練習に専念したいという思いからでした。彼の並々ならぬ覚悟のほどが窺えますね。そんな金栗の思いに対して、嘉納治五郎校長は東京高師の研究科に籍をおいて練習に励めるよう配慮します。金栗を日本初のオリンピック選手にしたのは嘉納ですから、最後まで支援しようという思いだったのでしょう。ドラマで、「プロフェッショナル」という言葉が出てきましたが、まさしく、日本初のプロスポーツ選手の誕生だったといえるかもしれません。


 同じ年の4月10日、金栗は地元、熊本県の池部家の養子となる話がまとまり、石貫村の医者の娘である春野スヤ結婚します。金栗は数え歳で24歳、スヤは23歳でした。ドラマではスヤは再婚という設定ですが、実際にもそうだったのかどうかは知りません。まあ、当時の女子の23歳といえば、行き遅れの年齢と言えるでしょうから、再婚は本当の話だったかもしれませんね。オリンピック選手との結婚と聞けば、現代の感覚でいえば華やかな縁談に思えますが、当時の感覚でいえば、変わり者と結婚するようなものだったかもしれません。スポーツ選手なんて職業は存在しなかった時代ですからね。当時の結婚適齢期の16、7歳の初婚の娘さんには、とても相手にはされなかったかもしれませんね。実際のところ、年増のバツイチが関の山だったんじゃないでしょうか。


 ちなみに、ドラマでは金栗とスヤは幼馴染の設定ですが、これも、本当の話かどうかはわかりません。たぶん、ドラマオリジナルの設定なんじゃないでしょうか。ちなみにちなみに、池部家の養子となった金栗でしたが、かれはその後も旧姓の「金栗」を名乗り続けます。日本初のオリンピック代表選手として彼の名はすでに全国に知れ渡っていましたからね。そのへんを考慮してのことだったのかもしれません。


 さて、晴れて妻帯者となった金栗でしたが、祝言から5日目には新妻を残して東京に旅立って行きました。次のオリンピックを目指して練習に励むためでしたが、それを可能にしてくれたのが、池部家の養母による支援でした。こののち、養母の幾江は東京の金栗に仕送りし続けます。当時、都会で働く息子は実家に仕送りをするのが当たり前でしたから、全く逆だったんですね。金栗は幾江とスヤに宛てて筆マメに便りを送っていますが、それは、仕事もせずに走ってばかりいることで、妻と養母に対しての引け目だったのかもしれません。


e0158128_00501876.jpg


 ちなみに余談ですが、オープニングのタイトルバックに現れたスヤさんの回転レシーブにはビックリしましたね。あと、スヤさんの冷水浴。あのシーンの瞬間視聴率は高かったんじゃないでしょうか(笑)。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓



更新を通知する


by sakanoueno-kumo | 2019-04-22 00:53 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Comments(0)  

<< 漆黒の烏城、備前岡山城を歩く。... 黒田官兵衛の生誕地と伝わる播磨... >>