人気ブログランキング |

日本最大の山城、高取城登城記。 その3 <ニノ門~大手門>

「その2」の続きです。

大手門から本丸とは反対方向の北側に山を20分ほど歩いて下ってきました。


e0158128_21363486.jpg


写真はニノ門跡

ニノ門というくらいですから、このもっと麓近くに一ノ門があるのでしょうが、本格的な城跡はここからということで、ニノ門から大手門に向かって登ります。


e0158128_21390413.jpg


その前に、ニノ門のすぐ北側に、猿の石像があります。


e0158128_21390880.jpg


これは「猿石」と呼ばれる遺跡で、飛鳥時代の斉明朝(7世紀)に作られたものと推定されるそうです。

これと同じような猿石が、奈良の明日香村の吉備姫王墓内に4体あるそうで、この猿石も元は同じ場所にあったものを、高取城築城の際に石垣に転用するため飛鳥から運ばれたのではないかと考えられているそうです。

この猿、400年以上もの間、ここを通る侍たちから現代の観光客まで見続けてきたんですね。


e0158128_21423143.jpg


さて、もう一度ニノ門です。


e0158128_21423603.jpg


ニノ門の案内板。

本丸まで872mとあります。

高取城がいかに巨大な縄張りを誇る山城であったかがわかります。


e0158128_21434978.jpg


ニノ門の左側(東側)を見ると、巨大な野面積みの石垣が東へ伸びています。


e0158128_21443662.jpg


その東には、池が見えますが、縄張り図では水堀とあります。


e0158128_21462317.jpg


ニノ門を過ぎると、いきなり目の前に長い石垣が目に入ります。

縄張り図によると、このあたりから侍屋敷エリアが始まります。


e0158128_21462630.jpg


ここから本丸まで、ずっとこんな感じで石垣群が続いているんですよね。

すごい規模です。


e0158128_21473088.jpg


しばらく進むと、西側の国見櫓への誘導板があります。

行ってみましょう。


e0158128_21484033.jpg


国見櫓です。


e0158128_21500891.jpg


「国見」というくらいですから、大和国が見渡せるのでしょうね。


e0158128_21530319.jpg


案内板です。


e0158128_21540307.jpg


国見櫓からの西側眺望です。


e0158128_21544856.jpg


中央に見えるのは、貝吹城址のある貝吹山です。

高取城を最初に築城した越智氏の本城です。


e0158128_21553385.jpg


その右に見えるのは、畝傍山

あの山の麓に神話に出てくる初代天皇の神武天皇を祀った橿原神宮があり、先ごろ退位された上皇陛下が、平成の終わりに退位のご報告のため行幸されていた畝傍山東北陵(神武天皇陵)があります。


e0158128_22022650.jpg


霞んで見えるのが奈良県と大阪府の境にある生駒山


e0158128_22031115.jpg


その少し南に見えるのが、信貴山城跡のある信貴山

あの松永久秀自爆したことで有名な城ですね。

ここも奈良県と大阪府の境にあります。


e0158128_22061586.jpg


さらにその南に見えるラクダの背のような山が、ニ上山城のあるニ上山

ここも奈良県と大阪府の境にある山ですね。

そして、その向こうに微かに見える山が、わがまち神戸の六甲山です。


e0158128_22103246.jpg


国見櫓も石垣の櫓台跡がちゃんと残っています。

かつてここには二層造りの櫓があったそうです。


e0158128_22131637.jpg
e0158128_22131970.jpg


さて、景色を堪能したので、また大手筋に戻ります。

さっそく櫓台のような石垣が。


e0158128_22132344.jpg


矢場門跡の櫓台でした。

喰違虎口の形状をしているのがわかります。


e0158128_22151937.jpg


さらに5分ほど歩くと、松ノ門跡があります。


e0158128_22152348.jpg


ここは、「その1」で紹介した高取児童公園に移築されている門があったところですね。


e0158128_22171314.jpg


さらに進むと、またまた向こうに門跡らしき石垣が見えてきました。


e0158128_22171831.jpg


宇陀門跡です。

ここも喰違虎口の形状をしています。


e0158128_22183219.jpg


宇陀門の名前の由来は、おそらく同じ大和国にある宇陀松山城からきたものでしょうね。


e0158128_22200378.jpg


宇陀門を過ぎると傾斜が緩やかな尾根道になります。

右側の石垣は大きな面積の城代屋敷の石垣

ニノ門からここまでずっと侍屋敷エリアでしたが、その最上段には城代屋敷があったんですね。


e0158128_22213779.jpg


その城代屋敷の横にある千早門跡です。

千早門の名前も、おそらく楠木正成が築城した千早城に由来するのでしょう。

南北朝時代に最初に高取城を築いたとされる越智邦澄は、楠木正成と同じく南朝方の悪党だったと言われます。

ちなみに「悪党」とは、いまで言う悪人という意味ではなく、在地の土豪的武士のことです。


e0158128_22214121.jpg


ここも喰違虎口の形状です。

名前は南北朝時代に由来するかもしれませんが、石垣や喰違虎口の形状は、筒井順慶から豊臣秀長の時代のものと思われます。


e0158128_22224715.jpg


千早門を過ぎると侍屋敷エリアが終わって三ノ丸に入ります。


e0158128_19173783.jpg


そして、「その2」で紹介した大手門まで戻ってきました。

今回はめっちゃ長くなっちゃました

つづきは「その4」にて。


e0158128_18383245.jpg



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


更新を通知する


by sakanoueno-kumo | 2019-05-17 01:08 | 奈良の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : https://signboard.exblog.jp/tb/28314961
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

<< いだてん~東京オリムピック噺~... 日本最大の山城、高取城登城記。... >>