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日本最大の山城、高取城登城記。 その6 <本丸>

「その5」の続きです。

高取城跡本丸下を1周して、いよいよ北側から本丸に登ります。


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まず登り始めて、右へ曲がらされます。


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右へ曲がると、またすぐ右へ曲がらされます。


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右へ曲がると、今度は左へ曲がらされます。

当時はここに城門があったそうです。


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左へ曲がると、またすぐ突き当りを左に。

本丸下と本丸の高低差が大きいので、何回も曲がらされます。

これは堅固ですね。


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ここを曲がると、ようやく本丸らしき場所が見えます。


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振り返ると、向こうに行き止まりの道があります。


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そして、本丸です。


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本丸からもう一度、虎口を見下ろします。

いかに複雑で堅固な造りといなっているかがわかりますね。


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本丸部分の大きさは東西に75m、南北に60mあります。


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天正17年(1589年)に豊臣秀長の命令で高取城に入った本多利久でしたが、関ヶ原の戦いでは東軍に与し、その功で、徳川の世になったあとも本多氏は引き続き高取城を任されていました。

しかし、その本多氏が三代で断絶すると、寛永17年(1640年)に徳川家譜代の家臣であった植村家政が、本多氏と同石高の2万5千石の大名として入り、高取藩初代藩主となりました。

植村氏は、酒井氏本多氏(本多利久の本多氏とは関係ありません)らと共に三河時代から松平氏に仕えた古参で、徳川家康の下で抜群の戦功を挙げたことから、歴代藩主に家康の「家」を名乗ることを許されていた名門譜代でした。

以後、明治維新まで植村氏が14代の長きに渡って高取藩を治めます。

前稿でも紹介した司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のなかで、司馬さんは高取城の存在価値についてこう分析しています。


城主が越智氏から筒井氏、本多氏と変わるうちに規模も大きくなり、やがて徳川初期に植村氏が入って、この山奥の急峻に累々と石垣が組みあげられ、近代的な築城形式に模様替えされた。徳川幕府がここに外様大名などを置かず、もっとも信頼できる譜代大名を封じ、当時すでに大時代だったこの山城をわざわざ補修改築させたのは、わかるような気もする。

幕府の近畿地方の防衛戦略という大きな視野からの判断だったかもしれない。

徳川幕府の仮想敵は、家康の代から薩摩の島津氏と防長の毛利氏だった。

<中略>

家康は、島津氏が京都に入って近畿をおさえ、天皇を擁して幕府と対決するだろうという想像をもち、死の寸前までそれが気がかりだったといわれている。

架空の状況において、島津氏がもし近畿をおさえた場合、大和の幕軍は平城の郡山城をすててこの高取城にこもり、他の方面の幕軍の巻きかえしを待つという戦略があったのではないか。


高取城は江戸時代には時代遅れの山城でしたが、徳川幕府はこの城を重要な拠点として考えていたということを、植村氏を封じたという事実が雄弁に語っています。


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本丸の説明板です。

高取城本丸には大天守、小天守、鉛櫓、煙硝櫓があり、それらを多門櫓で連結した連立式天守でした。

これは姫路城和歌山城などに見られる形式ですが、山城の天守としては、稀有な存在といえます。


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その大天守台石垣が北西隅に見えます。


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大天守台です。


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前稿で見た高石垣の上が、ここです。


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高取城天守台には通路が約3mの穴蔵が設けられています。


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大天守台に上がってみましょう。


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大天守の大きさは東西に約16m、南北に約14mの規模で、「御天守」と呼ばれていました。

『和州高取城山之絵図』によると、外観は1重目は千鳥破風、2重目の中央に出窓形式、3重目には軒唐破風があり、外壁は白漆喰総塗籠であったようで、外観3重、地下1階の大天守が推定されています。

また、大天守台の東側には付櫓台が属しており、2重の「具足櫓」が建っていたと考えられています。


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大天守台からさっきの穴蔵を見下ろします。


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大天守台から見た本丸。

手前に見える迷路のような石垣は、本稿の最初に紹介したジグザグ虎口です。


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まさに迷路です。


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天守台から二ノ丸を見下ろします。


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その向こうの西の空には、大和国と河内国の国境にある金剛山葛城山が見えます。

あの中腹に、楠木正成が築城した千早城があります。


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雲が低い。


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大天守台の前には、井戸跡の遺構があります。

5m×3m巨大井戸です。


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本丸南側には、多門櫓台跡石垣が伸びています。


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その石垣上からの南側眺望。

後醍醐天皇(第96代天皇)が南朝を開いた吉野山が見えます。


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こちらも雲が低いですね。


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明治4年(1871年)の廃藩置県により、全国の多くの城郭が廃されることとなり、建物の大部分が取り壊されましたが、標高600m近い山城であったため都市計画などに巻き込まれることはなく、廃城から150年近く経った現在でも、こうして壮大な石垣の遺構を見ることができるんですね。


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さて、本丸まで制覇しました。

まだまだ載せたい写真が山ほどあるのですが、キリがないのでこのへんで終わりにしたいと思います。


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ちなみに、高取城をCG再現した画像がこれです。

(引用元:高取城CG再現プロジェクト

こんな城がもし現存していたら、間違いなく世界遺産だったでしょうね。


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あっ、下山中に立ち寄った場所があります。

もう1回だけおお付き合いください。


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by sakanoueno-kumo | 2019-05-24 23:40 | 奈良の史跡・観光 | Comments(0)  

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