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いだてん~東京オリムピック噺~ 第22話「ヴィーナスの誕生」 ~田村富美子と梶川久子~

 今回は「ヴィーナスの誕生」というサブタイトルのとおり、日本女子スポーツの黎明期の話でしたね。大正10年(1921年)1月より女子師範学校で教鞭をとることになった金栗四三は、女子体育の振興に力を注ぎます。これまでスポーツに縁がなかった女子たちにその楽しさや魅力を知ってもらうために、金栗はまず、当時人気があったテニスを推奨。日本で初めての女子テニス大会・女子連合競技大会を開催します。


 劇中、テニスや陸上でひときわ活躍していた村田富江という女性は架空の人物ですが、モデルとなった人物がいたようです。それは、軟式テニスのペアで活躍した田村富美子という女性で、その相方だった梶川久子という女性が、劇中の梶原(名字しかわからない)のモデルだと思われます。実在した2人は金栗の務める女子師範学校の生徒ではなく、お茶の水女子高師附高等女学校の生徒でした。金栗と教師生徒の関係だったわけではないようですね。富美子はドラマと同じく医者の娘でしたが、ドラマと違うのは、スポーツをすることについて理解ある親だったようです。


e0158128_18330050.jpg 大正12年(1923年)5月、田村と梶川は大阪で行われた極東選手権競技大会(中国、フィリピン、日本の3国間)に出場しました。このとき、前例のない女子選手の参加についての賛否が随分議論されたそうですが、そんな逆境を跳ね返して2人はみごと優勝します。当時、女子選手は袴姿でテニスをしていましたが、この大会で田村と梶川は、当時の世界ナンバーワン女子テニスプレイヤーだったフランスのスザンヌ・ランラン選手の写真を参考にしてデザインしたユニフォーム姿で出場します。これがたちまち大評判となり、大会後、彼女たちは一躍スターとなったそうです。ドラマで描かれていたように、巷では2人のブロマイドが売られ、彼女たちがデザインしたユニフォームが、三越百貨店で「田村・梶川式ユニフォーム」として売り出されることになったそうです。まさにコートの妖精。大正時代のマリア・シャラポワだったんですね。


私が子供の頃、漫画『エースをねらえ!』が大ヒットし、女子の運動部ではテニス部が圧倒的な人気でしたが、大正時代にも女子テニスのブームがあったというのは知りませんでした。いつの時代でも、JKは流行に敏感なんですね。


 ちなみに、田村が素足で走ったという話も実話だそうです。当時、数々の雑誌や新聞にこの写真が掲載されたのだとか。当時、生娘が素足を顕にするなど言語道断だった時代。彼女は、単にスポーツ万能だっただけではなく、かなり革新的な考えを持った女性だったのでしょうね。


 人見絹枝が出てきましたね。ちょっと陸上競技を知っている人なら、彼女の名前を知らない人はいないでしょう。ある意味、主人公の金栗四三より後世に有名な彼女ですが、ドラマのとおり、岡山県高等女学校時代はテニス選手として活躍していました。田村、梶川ペアと戦ったかどうかはわかりませんが。彼女のその後については、これからドラマで描かれるでしょう。


 ちなみにちなみに、金栗が女生徒から「パパ」と呼ばれていたのは、どうやら本当の話らしいですよ。大正女子も、案外いまと変わらないんですね。そう呼ばれてニヤけている金栗も金栗ですが。おそらくドラマのように、スヤさんは怒っていたでしょう(笑)。



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by sakanoueno-kumo | 2019-06-10 18:35 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(0)  

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