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犬走りの代表的な城、岸和田城攻城記。 その3 ~二ノ丸~

「その2」のつづきです。

岸和田城大手門の北西には、かつての二ノ丸跡があります。

現在は二の丸広場として市民憩いの公園となっています。


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いまは芝生広場になっていますが、かつてはここに二ノ丸御殿がありました。

さらに昔の中世にまで遡ると、ここ二ノ丸が本丸だったそうです。


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岸和田城の歴史は古く、南北朝時代、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政によって摂津国、河内国、和泉国の3ヵ国守護に任ぜられた楠木正成が、甥の和田新兵衛高家を和泉国の代官にし、この地に城を構えさせました。

それが岸和田城の始まりとされていますが、そのときの城は今より少し東にあったとされ、現在、岸和田古城跡として石碑と案内板が設置されています。

参照:太平記を歩く。 その64 「岸和田古城跡」

一説には、このあたりは、かつては「岸」と呼ばれていたのが、和田氏が代官となったことで「岸の和田氏」と呼ばれるようになり、やがてそれが「岸和田」という地名になったのだとか。

その後、和田氏の一族である信濃氏が岸和田に入り、その信濃氏の時代に新たに築かれた城が、現在の二ノ丸を本丸とした城だったと伝わりますが、別の説では、永禄年間(1558~1570年)頃の松浦肥前守、三好義賢らの時代とも言われます。

正確なことはわかっていません。


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二ノ丸公園東隅にはが再建されています。


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入口には「二ノ丸多聞」と書かれていたのですが、なんと中は公衆トイレ


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こちらは、伏見櫓跡


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説明板によると、かつてここには京都の伏見城から移築された伏見櫓があったそうです。

元和9年(1623年)に伏見城が廃城になった際、その建物が全国の主要な城に移築されて「伏見櫓」と名付けられましたが、ここ岸和田城にも移築されたということは、徳川時代になっても岸和田城は重要視されていたことがわかります。

現在、広島県の福山城にも、伏見櫓が残されています(参照:備後福山城のまち逍遥備忘録 その1 「本丸・伏見御殿跡」)。


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こちらは二ノ丸公園内に建つ「心技館」という道場。

私が訪れたこの日も、中から剣道の練習をしている様子が聞こえていました。


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公園内にある皆吉爽雨の歌碑。

「城山へかつ天守へと登高す」


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同じく公園内に建つ岸和田の女流歌人・河野繁子の歌碑。

「めぐりつつ登り来りし高殿の俯仰の視野に花あふれたり」


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二ノ丸広場から望む天守です。


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二ノ丸公園西側に残るです。


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向かいに絵図が設置されていました。

二ノ丸を囲う堀は「百聞堀」と書かれています。

中堀にあたるのかな?


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内堀の西側にある駐車場の前に、岸和田藩薬園跡と書かれた説明板が設置されています。

かつてこの場所に岸和田藩第9代藩主・岡部長慎が命じて作らせた薬園があったそうです。


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また、岸和田城は、慶長20年(1615年)の大阪夏の陣の舞台のひとつにもなっています。

そのときの件については、以前の拙稿で紹介していますので、よければ一読ください。

(参照:大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11

最後に、続日本100名城のスタンプです。

やっぱ、スタンプにも犬走りが描かれています。


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by sakanoueno-kumo | 2019-06-22 00:05 | 大阪の史跡・観光 | Comments(0)  

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