海に浮かぶ要塞、讃岐高松城を歩く。 その1 <艮櫓、旭橋、旭門、桜の馬場>
今回は香川県高松市にある高松城を歩きます。
高松城というと、羽柴秀吉の中国征伐で水攻めされた高松城を連想しがちですが、あちらは備中高松城で、現在の岡山県に位置します。
こちらは四国の讃岐高松城。
瀬戸内海を挟んでちょうど向かい合わせるような場所に同じ名前の城というのも、ややこしいですね。
ただ、備中高松城は江戸時代に入って廃城になっていますから、二つの高松城が同時に存在した期間は短かったようです。
現在、讃岐高松城は三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、「玉藻公園」として整備されています。
写真は城跡公園南東隅にある艮櫓と中濠。
艮櫓は、もともとは東の丸の北東の隅櫓として建てられたもので、北東の方角のことを丑寅(艮)ということから、この名前になったそうです。
延宝5年(1677年)築といわれます。
昭和40年(1965年)に当時の所有者であった旧国鉄から高松市が譲り受け、2年の歳月をかけて東の丸より旧太鼓櫓跡のこの地に移されました。
実は、ここ高松城を訪れるのは2度目で、5年前にも拙ブログで起稿したのですが(参照:雨の讃岐高松城を訪ねて前編/後編)、そのときは出張ついでだったため時間があまりなかったのと、天気も雨だったのでゆっくり見れなかったのですが、この度は休日を利用して足を運び、じっくり数時間かけて歩いてきました。
艮櫓の北側に橋と門が見えます。
旭橋と旭門です。
かつて大手門は城の南側にあったそうですが、寛文11年(1671年)頃、三ノ丸に藩主の居住である披雲閣が建てられたため、これを廃して新たに東に旭橋を架け、それを渡って旭門から出入りするようになったそうです。
旭橋は濠に対して斜めに架かっています。
これは、横矢が掛かりやすくしているのだとか。
明治45年(1912年)に石橋に架替えられましたが、それ以前は木橋だったそうです。
旭橋から見た北側中濠。
石垣は打込み接ぎです。
旭門です。
ここから入場料200円が必要です。
旭門を抜けると、枡形虎口となっています。
こちらの石垣はきれいな切込み接ぎです。
かつては、枡形の北側には埋門が、南側には太鼓御門があったそうです。
冒頭で紹介した艮櫓を城内側からみた写真です。
ここ高松城は天正15年(1587年)に羽柴秀吉から讃岐一国17万3千石を与えられた生駒親正によって、翌16年(1588年)に築城が開始されました。
その縄張り(設計)を行ったのは、藤堂高虎、黒田官兵衛、細川忠興など諸説あります。
いずれも当時の築城には必ず名前が出てくる面々ですね。
城は約3年かけて完成し、「高松」という地名も、このとき付けられたものだそうです。
その後、寛永17年(1640年)に生駒氏は出羽国矢島藩に転封となり、寛永19年(1642年)に常陸国から北讃岐12万石の領主として入府した松平頼重によって改修されました。
城跡公園内南にある桜の馬場です。
その名のごとく馬の調練場だった場所で、今でも十分広い芝生広場ですが、かつては現在の2倍ほどの面積があったそうです。
その桜の馬場の東側にある中濠。
さてさて、今回もまた長くなりそうです。
「その2」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2019-08-01 07:28 | 香川の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)