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いだてん~東京オリムピック噺~ 第29話「夢のカリフォルニア」 ~ノンプレイングキャプテン・高石勝男~

 五・一五事件から約1か月後の昭和7年(1932年)6月、第10回ロサンゼルスオリンピックに出場する日本選手団が出発しました。このとき日本は陸上競技、水泳をはじめとして、体操、馬術、レスリング、ホッケーなど、開催国に次いで2番目に多い131名が出場しました。金栗四三三島弥彦2人だけで参加した第5回ストックホルムオリンピックから20年。日本のスポーツはここまで発展を遂げていたんですね。


 もっとも、このロサンゼルスオリンピックは、参加選手が非常に少なかった大会でもありました。その理由は、この3年前の昭和4年(1929年)10月にニューヨークのウォール街での株式大暴落に端を発した世界恐慌の影響で、選手の派遣を見送った国が続出したことによります。出場選手は4年前のアムステルダムオリンピック時の約半分にまで減ったとか。この時代、世界中で銀行の取り付け騒ぎ倒産があいつぎ、街には失業者があふれかえっていました。そんな世界情勢だったため、決して開催国アメリカでも歓迎する声ばかりではなく、スタジアムに向けて失業者のデモが行われることもあったようです。


 そんななか、日本はこれまでで最も多くの選手を派遣しました。といっても、当時の日本に他の国と比べて国力があったわけではなかったでしょう。当然、日本も世界恐慌の影響を受けていましたし、その低迷する経済が引き金となって中国大陸への進出を訴える声が強まっていき、ひいてはそれが、満州事変五・一五事件につながっていきます。さらに、外交的にも、満州国建国で日本は世界から孤立し始めた時期でもあり、はっきり言って、オリンピックなんかに行ってる場合じゃなかったはずだと思います。そんな殺伐とした時勢だからこそ、スポーツで明るい話題を作る必要があるとドラマの田畑政治は言っていましたが、たしかに、そういう側面はあったかもしれませんが、世界各国が選手の派遣を中止している世情を思えば、日本も、本当はそうすべきだったんじゃないかと。


でも、日本の長所なのか短所なのか、こういうとき、日本は頑張っちゃうんですよね。国民に無理強いしてでも、欧米列強に追いつけ追い越せで頑張る。その不屈の精神で、明治維新後の富国強兵政策でわずか40年で世界に肩を並べる軍事大国となり、また、昭和の大戦後も、敗戦の焼け野原からわずか40年ほどで世界一の経済大国になった。金栗と三島のストックホルムからの20年も、同じようにストイックに頑張ってきたんでしょう。一方で、不屈の精神で突き進むことしか知らない日本は、国が滅びの道に向かっていても、方向転換したり逆戻りすることができない。ちょっと立ち止まって、冷静に周りを見て、時には後退する勇気があれば、あるいは戦争を回避できたかもしれませんし、それが無理だったとしても、あそこまで長引かせずに戦争を終わらすことができたかもしれません。


いだてん~東京オリムピック噺~ 第29話「夢のカリフォルニア」 ~ノンプレイングキャプテン・高石勝男~_e0158128_20353137.jpg 話がそれちゃいましたが、ドラマに戻って、今回はそのロサンゼルスオリンピック開催前の選手選考の話でしたね。主人公は、代表に選ばれながら出場できなかったノンプレイングキャプテン・高石勝男。かつては日本水泳界のエースだった高石が、後輩たちの急成長と自身の衰えの間で苦しむ姿が描かれていました。高石は8年前のパリオリンピックで、日本人競泳選手としてはじめて5位入賞を果たし、その4年後のアムステルダムオリンピックでは800m自由形リレーで銀メダル、100m自由形で銅メダルを獲得しました。そんな日本競泳界の先駆者といっていい選手だったわけですが、ロサンゼルスではピークを過ぎた感が否めず、そんな高石に、田畑は主将の任を託すも選手としては出場させない旨を宣告しますが、そんな田畑に、若手選手や松澤一鶴監督は、「高石に有終の美を飾らせてあげて欲しい」と懇願します。田畑は頑なに却下。「高石ではメダルを取れない」と。


 なんか、妙にドラマチックに描かれていましたが、これ、当然のことですよね。部活動の3年生の引退試合じゃないんだから。国費で行くオリンピックですからね。過去の栄光は関係ないでしょう。あの北島康介選手だって、選手生命をかけて臨んだ最後のリオデジャネイロオリンピックは、選手に選ばれなかったですしね。いま結果を残した選手が選ばれる。当然のことです。


 ちなみに、この高石勝男は、その後、後進の育成に努め、昭和39年(1964年)の東京オリンピックでは水泳日本代表総監督となり、さらには、日本水泳連盟会長などを歴任し、紫綬褒章を受章します。その後もずっと、日本水泳界のノンプレイングキャプテンとして活躍したわけですね。



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by sakanoueno-kumo | 2019-08-05 20:38 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2019-08-08 11:59
私、今年の大河ドラマは当初の3話くらいで見てないのですが(理由は「面白いけど、朝ドラなら見なくて良い」しと。朝ドラで今まで見たのは「ゲゲゲの女房」と「カーネーション」のみ。それも、途中からで。あまちゃんなどはどれほど評判でも見てませんでした。)、今回の話はこちらで拝見して、ちょっと考えさせられました。
昨今(に限らず)、「現場がすべて」、「現場に負担がかかりすぎ」、「現場の声を聞け」などという意見がありますが、一方で、現場に引きづられた結果が帝国陸軍だったわけで。

確かに、現場が最前線の実情は一番わかっているんでしょう。
しかし、中世の商人などは現場に本店を置かず、離れたところに置いていたといいます。
現場にいれば、熱気や情実などに左右され、冷静な判断をくだせない。
まさしく、今回の話はそれを彷彿とさせるような逸話でした。
見ませんけど(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2019-08-09 01:13
> heitarohさん

ですね。
現場の最前線の独断で行動した結果、80年前に満州で何が起きたか・・・。
最前線は見えすぎる分、逆に盲目になるのかもしれませんね。
後方にいるからこそ、物事を俯瞰的に見ることが出来ることも大いにあると。
自分の子供の欠点は、親よりも他人のほうがよく見えているのと同じですね。
近すぎて見えないこともあると私も思います。

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