海に浮かぶ要塞、讃岐高松城を歩く。 その5 <本丸、天守台>
「その4」の続きです。
高松城二ノ丸と本丸を結ぶ鞘橋を渡り、本丸へ向かいます。
鞘橋を渡ると、喰違虎口となっています。
振り返ると長さ16間(約30m)の鞘橋が。
前稿でも紹介しましたが、有事にはこの橋を落とすことによって本丸だけを守るようになっていました。
この構造は、防備に優れている一方で、一旦橋を落としてしまうと内部にいる人間は逃げ場を失ってしまう、という欠点があります。
もっとも、高松城の場合は海に面していることもあり、濠を通じて海上への脱出が可能でした。
本丸、そして正面に見えるのが天守台です。
本丸の面積は狭く、御殿などの居住施設はなかったようで、多聞櫓で囲まれた天守があるのみでした。
天守台の石垣は野面積みのようですね。
石垣は平成18年(2006年)から平成25年(2013年)にかけて解体修復工事が行われていました。
上ってみましょう。
天正期に建てられた生駒親正の時代の天守は、絵図や古文書によると3重だったとされていますが、寛文9年(1669年)に初代藩主の松平頼重が改築した天守は、「南蛮造り」と呼ばれる3層4階+地下1階の天守だったそうで、四国最大の規模を誇っていたそうです。
その天守は、明治17年(1884年)に老朽化のため解体されています。
その後、大正9年(1920年)に天守台上に松平頼重を祀った玉藻廟が建立されましたが、それも平成18年(2006年)から始まった天守台石垣の解体修復工事に伴い、解体されて御神体のみが移設されたそうです
その平成の修復工事の際の発掘調査によると、地下1階部分から58個の礎石が発見されました。
天守台上には、発掘調査時の説明板が設置されています。
天守台上から北側を見下ろすと、「その4」で紹介した内濠と水門、そしてその向こうには瀬戸内海が見えます。
北西に目を移すと、二ノ丸と鞘橋が見えます。
天守台上からの眺めを堪能したあと、本丸を出て三ノ丸側から天守台を眺めました。
石垣は野面積み、出隅は算木積みになっています。
鞘橋と天守台。
天気がいいのできれいです。
天守台と高層ビルの大いなるミスマッチ。
かつてあった天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」だったそうで、その様子は、解体される以前に写真におさめられているそうです。
高松市では、天守の復元を企画しているそうです。
「その6」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2019-08-08 00:55 | 香川の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
私もここは行きましたが、人と一緒だったので、「城と言っても何も無いから、ざっと見たら次に行きましょう」と言われ、行っただけ・・・ってことに。