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いだてん~東京オリムピック噺~ 第31話「トップ・オブ・ザ・ワールド」 ~過去の栄光が持つ底力~

 今回も前話から続いて昭和7年(1932年)夏の第10回ロサンゼルスオリンピックの話でしたね。この大会に日本はこれまで最も多い131名の出場選手を送り込みましたが、そのなかでも田畑政治総監督とする日本競泳陣の活躍は凄まじく、男子競泳6種目中5種目で金メダルを獲得します。とくに背泳ぎでは金銀銅すべてを日本人選手が獲得し、表彰台を独占しました。唯一金メダルを逃した400m自由形の大横田勉選手も銅メダル。まさに、「水泳王国ニッポン」の異名が世界に轟いた大会だったといっていいでしょう。


 e0158128_17101632.jpg第29話では、かつて日本競泳界のエースだった高石勝男が、後輩たちの急成長に押されて代表枠から漏れ、ノンプレイングキャプテンとして競泳陣を支える心の葛藤が描かれましたが、今回は、同じく4年前の第9回アムステルダムオリンピック金メダリストだった鶴田義行選手の姿が描かれました。鶴田はこのとき30歳高石同様アスリートとしてのピークは過ぎていたのですが、高石と違っていたのは、今回も代表選手に選ばれていたことでした。もっとも、日本としての期待度は若き新鋭の小池禮三選手のほうが大きく、ドラマで描かれていたように、鶴田は小池の練習台といった立場での出場だったようです。ところが、ふたを開けてみれば、鶴田は小池とともに決勝に勝ち進み、決勝ではその小池を抑えて見事に優勝。鶴田は日本人初のオリンピック連覇者となります。わからないものですね。オリンピック競泳平泳ぎでの連覇は、男女を通じてこの鶴田と、そして平成のスター・北島康介選手の二人だけだそうです。


 e0158128_17102028.jpgこれとよく似た話が、平成の女子マラソンでもあります。それは、平成4年(1992年)のバルセロナオリンピックと平成8年(1996年)のアトランタオリンピック2大会連続メダリストとなった有森裕子選手。今でこそ彼女は日本女子マラソンのパイオニアとして名高い存在ですが、当時の彼女は、決してそんな期待度の高い選手ではありませんでした。初めて出場したバルセロナ大会のときは、代表選手3人の3番目の枠松野明美選手と争い、泥仕合のすえ勝ち取ったものの持ちタイムは一番遅く避難や誹謗中傷を浴びせられるなかの出場だったのですが、そんななかで見事銀メダル獲得。それでも、陸上ファンの中では「松野を出場させていたら金メダルだったんじゃないか!?」いう声が多かったのを覚えています。


 そして、その4年後のアトランタ大会のときも、やはり前回と同じく3人目の出場枠をギリギリ獲得。しかし、3選手の中で年齢は一番上で持ちタイムも最も遅く、ファンや専門家の期待はもっぱら浅利純子選手に集中しており、有森選手は過去の選手といった見方が強かった。ところが、ふたを開けてみると、有森選手は見事銅メダルに食い込み、日本女子陸上選手初の2大会連続メダリストとなります。その後は一気に国民的英雄となり、まるで最初から国民の期待を一身に背負っていたかのような印象で後世に伝わっていますが、決してそうではなかったんですね。有森選手にしてもドラマの鶴田選手にしても、過去の栄光というのは、決して侮ることはできない底力になるのかもしれません。ただ、だとしても、過去の実績に重点を置いて選手を選考するというのは、それはまた違うように思います。難しいですね。


 話をドラマに戻して、大会終了後のエキシビションが描かれていましたが、あれ、史実だそうです。日本は初めて出場したアントワープオリンピックからわずか10年余りで「水泳王国ニッポン」を築くに至ったわけですが、それを可能にしたのは、400年以上の伝統を誇る日本泳法にあった、と。たしかに、アントワープ大会では「クロール」という最先端の泳法を知らずに惨敗を喫しただけで、こと「泳ぐ」ということに関しては、周囲を海で囲われた日本では常に身近にあった文化だったわけです。日本の躍進は当然の結果だったのかもしれませんね。


 ちなみに、エキシビションの日本泳法、今のシンクロナイズドスイミングに似てましたね。日本のシンクロが強いのも、原点は日本泳法にあるのかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2019-08-19 17:17 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Comments(0)  

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