築城400周年の明石城を歩く。 その3 <南帯郭>
「その2」のつづきです。
三ノ丸東側の石段を登って、本丸に向かいます。
写真左側は巽櫓。
そこから西(右)に伸びている高石垣は、二ノ丸、東ノ丸の石垣です。
数年前にここを訪れたときには、木が覆い茂っていてこんなに高石垣は露出していなかったのですが、築城400年事業の一環なのか、木が伐採されていて、いい感じのロケーションになっています。
ただ、私が訪れたこの日、たまたま絵を描きに訪れていた老翁が、「木がなくなってしまって、絵にならない」と嘆いておられました。
わたしのような城好きの者と、絵描きの方の見方は違うようですね。
西側に目を向けると、巽櫓と坤櫓がそびえます。
櫓下の石垣は、三ノ丸から一段上の帯郭までが高さ5m、そこから櫓までが15mの計20mあり、東西の幅は380mあります。
石段を上りましょう。
このまま石段は二ノ丸、本丸へと続いていますが、その前に、その南下にある南帯郭を歩いてみましょう。
東から西へ歩きます。
手前が巽櫓、向こうに見えるのが坤櫓です。
こうして見ると、向きが違うのがわかりますね。
巽櫓は南を向いていますが、坤櫓は西を向いています。
帯郭の幅は7~8mほどでしょうか?
巽櫓台の石垣です。
打込み接ぎ、出隅は算木積みです。
前稿でも述べましたが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災により、両櫓とも傾いて石垣も広範囲にわたって崩落しましたが、その後、いったん両櫓を曳家(建物を解体しないで、そのまま移動する建築工法)して石垣を積み直し、櫓も修復され、平成12年(2000年)にその雄姿が蘇りました。
こちらは、南帯郭西側から見た本丸高石垣です。
坤櫓を見上げます。
さて、元の石段まで戻って、今度は南帯郭を東に向かって歩きます。
東側は、二ノ丸、東ノ丸の高石垣が続いています。
その中央付近に、「松平若狭守直明公茶の水遺跡」と刻まれた石碑と、古い井戸跡があります。
松平直明は、天和2年(1682年)に越前国大野藩より転封となった明石藩8代藩主で、それまで明石藩は、初代の小笠原忠真以後、小笠原家1代、松平(戸田)家2代、大久保家1代、松平(藤井)家2代、本多家1代と、コロコロと藩主が代わって来ましたが、この松平直明以後、幕末まで松平(越前)家が10代続きます。
その直明が、城内で催されていた茶会の際に愛用していた井戸なんだとか。
南帯郭の最東端までやってきました。
西を振り返ると、東西に伸びる帯曲輪が一望できます。
そこから、巽櫓と坤櫓をズームアップ。
この光景も、以前は木が茂っていて見れなかったロケーションです。
さて、今回も南帯郭だけで終わっちゃいました。
なかなか進みません。
「その4」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2019-08-24 22:40 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)