築城400周年の明石城を歩く。 その4 <稲荷郭>
「その3」の続きです。
南帯郭最西端まで戻ってきました。

写真は本丸の西側にある稲荷郭の石垣です。

その稲荷郭に向かってみましょう。

稲荷郭に向かう虎口の正面にそびえる高石垣は、天守台石垣です。
明石城は一度も天守は築かれませんでしたが、天守台は、小笠原忠真の築城時から存在していました。

天守台は上面の大きさが東西25m、南北20m、約152坪あり、5重の天守が乗る規模です。
これは熊本城の天守台と同じ規模なんだそうです。

石垣は打込み接ぎ、出隅は算木積みですね。

天守台のすぐ側に、坤櫓が見えます。
城内でいちばん大きな櫓だった坤櫓は、天守代用として使われました。

で、その天守台石垣の西側に広がるのが、稲荷郭です。

稲荷郭は本丸の西側に位置し、築城時は「西の丸」と呼ばれていたそうです。
「稲荷郭」という名称は、北端に稲荷の祠があったことに由来します。

稲荷郭の北西隅には「文ノ櫓」、南西隅には「正ノ櫓」というふたつの二重櫓がありました。
写真は正ノ櫓跡です。

礎石跡とみられる遺構が残っています。

正ノ櫓跡から南を見ると、三ノ丸居屋敷郭跡に明石球場が見えます。
現在は明石トーカロ球場という名称になっています。
高校野球の兵庫県大会や軟式高校野球の全国大会が行われている球場で、「もうひとつの甲子園」とも呼ばれる球場です。
かつてはプロ野球の公式戦も行われ、かの長嶋茂雄氏がジャイアンツに入団した年のキャンプ地でもありました。
近年はプロ野球の公式戦が行われることは少なくなりましたが、楽天の三木谷浩史オーナーの地元ということで、年1回程度、楽天主管の試合が行われています。

正ノ櫓跡から見た稲荷郭跡。

あずまやの向こうに見えるのが、天守台石垣です。

角度を変えると、坤櫓が見えます。

稲荷郭の西側は一段高くなっています。
かつてはここに多門櫓があったのでしょうか?

稲荷郭の北側は、現在、林になっています。

稲荷郭の広さは東西56m、南北122mあります。
昭和27年(1952年)には、ここに演舞場が建てられたそうですが、昭和43年(1968年)に取り壊されました。


稲荷郭東側の本丸石垣です。
本丸との高低差は約9mあります。

稲荷郭北側の虎口です。
縄張り図では、「万ノ門」となっています。


両側には、櫓門があったであろう石垣が残されています。

万ノ門を出て、稲荷郭の北側から西側を歩いてみましょう。

稲荷郭の西側石垣下です。

見事な打込み接ぎの石垣が続きます。

石垣の高さは、北が二間四尺(4.8m)、西が三間四尺(6.67m)、南が四間半(8.2m)あるそうです。

出隅は算木積みになっていますね。

排水口もあります。


稲荷郭西南隅の正ノ櫓跡の石垣下です。

その1段下にも、何かの台だったと思われる石垣があります。

さてさて、今回もまた、稲荷郭だけで長くなっちゃいました。
次回、「その5」では、いよいよ本丸を歩きます。
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by sakanoueno-kumo | 2019-08-28 00:06 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)