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築城400周年の明石城を歩く。 その6 <本丸~天守台・人丸塚~>

「その5」に続いて本丸を歩きます。

本丸南西隅の坤櫓の北側に、天守台があります。


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天守台は小笠原忠真の築城時から存在していましたが、明石城には一度も天守が築かれることはありませんでした。


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この時代に築かれた城で天守台だけ築いたという例は他にもあり、その理由については、幕府に遠慮して建てなかったというものや、当時、大砲が主力兵力となりつつあり、その標的になりやすい天守は、時代にそぐわない無用の長物と考えられ始めていたから、とか、あるいは、経済的理由で、いつかは天守を建てるべく天守台だけ築いた、とか、様々な見方がありますが、定説はありません。


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明石城の場合、本来南西隅に築かれるべき天守台が、あえて奥まった場所に築き、南西隅には坤櫓を設けていることから見て、当初から天守を築く予定はなかったのではないか、とも考えられているそうです。


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でも、だったら、そもそも天守台を築く必要もなかったんじゃないかと思っちゃうんですけどね。


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天守台上に登ってみましょう。


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天守台は上面の大きさが東西25m、南北20m、約152坪あり、5重の天守が乗る規模です。

これは熊本城の天守台と同じ規模なんだそうです。


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天守を建てるつもりがないのに、こんな立派な天守台を設けるでしょうか?


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天守台からみた坤櫓です。


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その西側を見下ろすと、三ノ丸居屋敷郭跡明石球場(現・明石トーカロ球場)が見えます。


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天守台から「その4」で紹介した稲荷郭を見下ろします。


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その向こうには、明石陸上競技場(現・きしろスタジアム)が見えます。

かつてあの場所には、山里郭がありました。

築城当時は樹林屋敷と呼ばれ、城主の遊興所があったと伝わります。


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さて、天守まで攻略しましたが、もう少し本丸を歩いてみましょう。


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本丸内には「人丸塚」と書かれた駒札と、鬱蒼と大樹が茂る小さな丘陵があります。

もともと本丸の位置には弘仁2年(811年)に弘法大師・空海が創建したと伝わる湖南山楊柳寺がありました。

人丸山の由来ともなった人丸塚の名は、仁和3年(887年)に僧・覚証柿本人麻呂の夢を見て、寺の背後の塚を「人麻呂塚(人丸塚)」と名付けたことにはじまります。

このときに寺号も月照寺と改めたそうです。


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時代は下って元和5年(1619年)、小笠原忠政による明石城築城の際、月照寺と柿本神社は移転させましたが、人丸塚は城の鎮守のためにそのまま残し、現在も本丸跡に残っています。


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その横には「横山蜃楼句碑」と記された駒札石碑も。


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横山蜃楼という人は明石の人だそうですが、すみません、よく知りません。

なので、駒札の説明書きをお読みください。


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ひととおり本丸を歩いたので、本丸北西の「見ノ門」から外に出てみます。


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ここにも、立派な櫓台石垣があります。

おそらく、往時はここに立派な櫓門があったのでしょうね。


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本丸外側から見た見ノ門。


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ここを下ると、「その4」で紹介した万ノ門に繋がります。

本丸を歩き終えたので、「その7」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2019-08-30 00:03 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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