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いだてん~東京オリムピック噺~ 第34話「226」 ~二・二六事件~

 昭和11年(1936年)2月26日早朝、陸軍青年将校たちが約1500名の下士官兵を率いて日本中を震撼させる大規模なクーデターを断行しました。世にいう「二・二六事件」です。彼らは、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃し、首相官邸をはじめ、陸軍省、参謀本部、警視庁などを占拠します。マーちゃんこと田畑政治の務める朝日新聞社も襲撃されました。このとき殺されたのは、岡田首相と間違われた義弟で海軍大佐の松尾伝蔵、高橋是清、斎藤實、渡辺錠太郎の重臣4名と、警察官5名。鈴木貫太郎は瀕死の重傷を負います。牧野伸顕はからくも逃げおおせ、難を逃れました。決起した将校たちは4日間に渡って国の中枢を占拠し、東京の首都機能は完全に麻痺してしまいました。


 当時、ニューヨークで起こった世界恐慌の影響で、日本は深刻な不景気(昭和恐慌)に陥っていました。企業は次々に倒産し、まちは失業者であふれていました。また、デフレからの農作物の価格の下落により、農村も大きなダメージを受け、農家の娘の「身売り」が社会問題となっていました(農村恐慌)。まさに、日本経済はどん底の状態にあったんですね


 そんな中、当時の政党内閣は何の策も講じず、相変わらず財界と癒着して汚職事件を繰り返している・・・と、国民は政治に不満を抱いていました。こうした国民の政治不信を背景に、軍部の一部の青年将校たちは右翼と協力して国家の革新を目指すようになり、過激な行動を起こすようになります。それが、昭和6年(1930年)の浜口首相狙撃事件、昭和7年(1931年)の三月事件、昭和7年(1932年)の血盟団事件、そして同年の五・一五事件などを生みます。


いだてん~東京オリムピック噺~ 第34話「226」 ~二・二六事件~_e0158128_22095188.jpg 当時の陸軍内は「皇道派」「統制派」と2つの派閥に分かれていました。統制派は、陸軍の中枢の高官が中心になった派閥で、彼らは政府や経済に介入し、軍部よりに政府を変えていこうと考えていました。これに対して皇道派は、天皇を中心とする天皇親政を目指し、そのためには武力行使も辞さないという過激派です。二・二六事件は、この皇道派が起こした事件です。彼らは「昭和維新」「尊皇討奸」をスローガンに掲げて天皇を中心とした政治体制を確立すべく、そのためには天皇を取り巻く「君側の奸」を排除すべしとテロを起こします。


 ところが、これに激怒したのが、彼らが最も崇敬していた昭和天皇でした。昭和天皇は彼らを「賊徒」と見なし、事態に厳しく対応するよう軍の上層部に求めます。当初、陸軍内部では首都での同士討ちを避けたいという思いから、武力での鎮圧に消極的でしたが、一説には、天皇は自ら軍を率いて鎮圧するとまで明言されたといい、そうなると、陸軍も動かざるを得なくなり、東京市に戒厳令が敷かれ、海軍とともに武力鎮圧に乗り出しました。崇敬してやまない天皇陛下から「賊徒」とみなされた彼らは、もはやその行動の意義を失い、29日に部隊は解散され、クーデターは未遂に終わりました。事件の首謀者である青年将校ら19名は、裁判の結果、銃殺刑とされ、彼らの理論的指導者だった北一輝も、事件に直接関与しませんでしたが、死刑となりました。


 これとよく似た事件が、幕末にもありました。文久3年(1863年)8月に孝明天皇大和行幸に乗じて大和国で挙兵した天誅組の変です。彼らは「尊皇攘夷」をスローガンに孝明天皇の攘夷親征の魁となるべく討幕の兵を挙げますが、これを最も拒絶したのは当の孝明天皇で、彼らの挙兵の翌日に京都で八月十八日の政変が起き、天皇から「暴徒」とみなされた天誅組は、朝廷からも幕府からも追われる身となり、やがてほとんどが討死します。二・二六事件の将校たちとそっくりです。


 二・二六事件の将校たちも天誅組の志士たちも、彼らは彼らなりの正義があったのでしょうが、客観的に見れば、彼らがやったことは、どう考えても義挙とは言えず、単なるテロリズムでした。ピュアなだけで大局観がなく、猪突猛進型青二才たちが起こした愚かしい事件と言わざるを得ませんね。


 少しだけオリンピック招致の話もしましょう。二・二六事件から1ヶ月も経っていない3月19日、IOC会長のラトゥールが来日しました。日本滞在中、彼は明治神宮外苑競技場などの競技施設を視察したほか、中山競馬場講道館を訪問し、さらに関西にも足を伸ばし、甲子園球場を視察したのち京都や奈良を観光したそうです。3月27日には昭和天皇にも謁見したとか。陛下も二・二六事件が集結したばかりのたいへんなときだというのに、よく時間を割いていただけましたね。まさに、この日本の「お・も・て・な・し」攻勢は、オリンピック招致に大いに功を奏することになります。



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by sakanoueno-kumo | 2019-09-09 22:12 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(0)  

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