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天誅組の足跡を訪ねて。 その2 「狭山藩陣屋跡」

文久3年8月15日(1863年9月27日)に堺港に上陸した天誅組は、翌16日、払暁に高野街道を通って河内をめざし、狭山に入りました。

そこで天誅組は吉村寅太郎を軍使として狭山藩の陣屋に送り、先代藩主で隠居の身であった北条氏燕との面会を申し出ました。


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現在、その陣屋跡の一角には、石碑が建てられています。


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狭山藩北条氏は、戦国時代の関東で勢威を振るった小田原北条氏の子孫です。

豊臣秀吉小田原征伐によって小田原北条氏は滅亡しますが、その後、嫡流は断絶したものの、その枝流が跡を継いでこの地に移って大名となり、小藩ながら明治維新まで続きました。


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天誅組の申し出を受けた氏燕は、急病と偽って面会を断り、家老の朝比奈縫殿が代って対応します。

天誅組主将の中山忠光は、吉村を通して狭山藩も出陣して義挙に加わるよう命じました。

これに困った狭山藩は、とりあえず、甲冑ゲベール銃などの武具と、米、塩などを贈り、天皇親征の節には加わると回答したといいます。

しかし、周知の通り天皇親征は行われなかったんですね。

狭山藩の対応は賢明だったといえます。


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狭山藩陣屋は、狭山池東北の地にありました。

狭山池は日本最古のダム式ため池とされ、現在も洪水調整機能を備えたダム池として管理されています。


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現在、狭山池の周囲は公園として整備されています。


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天誅組の一行も、このため池の畔を歩いたかもしれませんね。



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by sakanoueno-kumo | 2019-09-19 01:02 | 天誅組の足跡を訪ねて | Comments(0)  

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