天誅組の足跡を訪ねて。 その9 「民俗資料館(五條代官所長屋門)」
「その8」で紹介した五條代官所跡のすぐ近くに、天誅組の史跡公園があります。
ここには、五條代官所の長屋門があり、民俗資料館として天誅組の史料などが展示されています。

公園の入口には、「明治維新発祥の地」と書かれた大きな看板塔があります。
「発祥の地」とはちょっと言い過ぎの感はありますが、まあ、天誅組が倒幕の導火線にはなったかもしれません。

ここにも、「さきがけの地」と書かれた説明駒札が。

こちらの石碑にも、「明治維新発祥地」と刻まれた銘板が埋め込まれています。
どうしても、天誅組の変があったから明治維新が成ったということにしたいみたいです。

石碑の裏側には、「明治100年記念事業として、旧代官所跡(現史跡公園)に建立」と記されています。

公園内です。
向こうに見えるのが五條代官所の長屋門です。

こちらの石碑は「天誅組一五〇年記念碑」とありますから、つい最近建てられたもののようですね。
手前の石板には、乾十郎、井澤宜庵、橋本若狭という五條出身の天誅義士3人の名が刻まれています。

文久3年8月17日(1863年9月29日)に天誅組に襲撃されて焼き討ちされた五條代官所に代わり、翌年の元治元年(1864年)10月、この地に幕府が新たな代官所を立て直しました。
明治3年(1870年)、代官所は五條県発足の折りに五條県庁となり、その後、警察大屯所や中学校などに利用されていたそうですが、明治10年(1877年)に五條区裁判所となり、現在に至っています。
裁判所の改築の際、正門である長屋門と広場を五條市が譲り受け、広場を史跡公園、長屋門を民俗資料館として整備されたそうです。

つまり、この長屋門は天誅組襲撃時のときのものではないということですね。
天誅組義挙の翌年に建てられたものということです。


長屋門は全長40mで、門脇に戸をつけ、その横に見張りのための出格子の窓をつけた番所がありました。

長屋門の中は、天誅組資料館として古文書などの史料や天誅組史跡の写真パネルなどが展示されています。



せっかくなので、吉村寅太郎のマグカップを購入しました。
坂本龍馬や西郷隆盛などのグッズはいろんな観光地で売っていますが、吉村のマグカップは、ちょっとレアでしょう?(笑)
他にも藤本鉄石、松本奎堂のマグカップもありましたが、さすがにマニアックすぎて手が出ませんでした(笑)。
800円です。

こちらは、長屋門下の石垣です。
なんか、城跡っぽくていいですね。

現在はこうして五條市の観光誘致の顔となっている天誅組ですが、当時の五條の民衆にとっては、天誅組義挙というのはどのような事件だったのでしょうね。
観光案内の紹介文などでは、民衆は天誅組に協力的だったように書かれていましたが、果たしてそうだったでしょうか?
当時の幕府直轄地の民衆は、わりと恵まれた暮らしだったといいます。
五條の人たちにとっては、平穏な暮らしに突然襲いかかった暴徒でしかなかったんじゃないかと思うんですけどね。
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by sakanoueno-kumo | 2019-10-04 02:03 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)