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いだてん~東京オリムピック噺~ 第39話「懐かしの満州」 ~満州と終戦~

 今回は5代目古今亭志ん生が主人公の物語でしたね。昭和20年(1945年)5月6日、志ん生は同じ落語家の6代目三遊亭圓生や講釈師、漫才師らとともに慰問芸人として満州に渡航しました。昭和20年5月というと終戦の3ヵ月前で、この翌日の5月7日にはドイツが連合国に降伏し、枢軸国で残るのは日本だけとなります。連合軍が沖縄に上陸して沖縄戦が始まったのが前月の4月1日で、あのひめゆり学徒隊集団自決したのが翌月の6月。神風特攻隊による菊水一号作戦が始まったのが4月6日で、4月7日には戦艦大和が沈没しています。本土では、東京や大阪だけでなく全国各地の主要都市が空襲を受け始めたのもこの5月。3年8ヵ月続いた第二次世界大戦中、このラスト3、4ヵ月でおびただしい数の死者が出ました。そんな時期に、まだ兵隊さんの慰問活動なんてやってたんですね。


e0158128_18320298.jpg このとき古今亭志ん生55歳、三遊亭圓生は10歳下の45歳でした。満州に渡った彼らは満洲映画協会の傍系である満洲演芸協会と契約を結び、各地で兵士たちを前に落語を演じながらまわったそうです。その契約は7月5日に終わり、そのまま日本へ帰る予定だったのですが、悪化する戦局のなか船便がなくなってしまい、やむなく、次の船が出るまで満州電電傘下の新京放送局の仕事を引き受け、慰問のため各地をまわることになります。このとき志ん生ら一行の引率を担当したのが、このころ新京放送局のアナウンサーをしていた当時32歳の森繁久彌だったそうです。森繁さんといえば、昭和を代表する大俳優で、たしか大河ドラマにも出演していたと思いますが、令和となったいま、もはや大河ドラマに出てくる歴史上の人物になっちゃいましたね。


 8月8日、ソ連が日ソ中立条約破棄して日本に宣戦布告し、満州に攻め込んできました。終戦の1週間前です。日本がポツダム宣言の受諾をもう少し早く決断していれば、のちの北方領土問題はなかったのに・・・といってもあとの祭り。愚かにも日ソ中立条約を根拠にソ連の仲介による和平工作を模索していた日本は、梯子を外されて四面楚歌となり、8月15日正午の昭和天皇による玉音放送をもってポツダム宣言受諾を国民へ表明し、終戦を迎えました。志ん生たちが玉音放送を聞いたのは、大連だったそうです。その1週間後の8月22日にソ連軍が大連に進駐してくることになり、その前日、現地の日本人たちがお別れの会を開き、志ん生と圓生は頼まれて一席ずつ演じたそうです。ドラマでは皆、笑っていましたが、実際には、誰もくすりとも笑いはしなかったとか。まあ、そりゃそうでしょうね。


 ドラマでは志ん生らとともに行動していた小松勝がソ連の進駐軍に射殺されていましたが、実際、満州におけるソ連の進駐軍は日本本土のアメリカ進駐軍と違ってたちが悪く、歯向かう日本人は容赦なく殺され、降伏した日本人は捕虜としてシベリアや中央アジアなどの強制収容所に送られ、過酷な強制労働を強いられました。このシベリア抑留によって65万人以上の男性が極度の栄養失調状態で極寒の環境にさらされ、25万人以上の日本人が帰国できずに死亡したといわれます。ドラマで、若い女はみんな青酸カリで自殺したと言っていましたが、「敦化事件」のことでしょう。8月27日、ソ連軍によって連日に渡り集団強姦され続けていた工場の日本人女性社員が、青酸カリを飲んで集団自決した事件です。また、中華民国政府に協力した日本人約3000人が中国共産党に虐殺された「通化事件」も発生しました。


「沖ソ連軍が本格的に来てからはひでえもんだったよ。沖縄で米兵が・・・、もっと言やあ、日本人が中国でさんざっぱらやってきたことだが。」


 ビートたけしさん演じる晩年の志ん生が語った台詞ですが、まさしく、そのとおりでした。というと、また「売国奴」とか言って騒ぎ出す恥ずかしいやつらがいますが、戦争ってそんなものでしょう。悪いのは日本人でもロシア人でもアメリカ人でも中国人でもなく、戦争なんです。戦争が人を狂気にするんです。


 志ん生が大連でウォッカをあおって意識を失ったという話は実話だそうですね。ついにソ連軍が進駐してきたとき、志ん生は安く分けてもらったウォッカを6本も飲み干し、ぶっ倒れたそうです。後年、志ん生は「このとき自殺するつもりだった」と語っていたそうですが、志ん生を介抱した圓生は、「なあに嘘ですよ。(中略)ありゃあね、自殺するような、そんなヤワな人間じゃないですよ」と否定していたそうです。


 今回、主人公の金栗四三田畑政治がほとんど出てきませんでしたね。私はこれまで当ブログにおいて、主人公が出ない回かあってもいいんじゃないか、と度々発言してきました。主人公を無理やり歴史上の出来事に絡めて出そうとするから、話が嘘くさくなって面白くなくなる。大河ドラマが歴史ドラマである以上、その流れのなかで主人公が出てこない回があってもいいと思うし、そうすることで、物語により厚みが出るとわたしは思います。今回、それを見事にやってのけていて、それがまた素晴らしい出来映えでした。聞くところによると、もともと脚本家の宮藤官九郎さんが「満州の古今亭志ん生と戦争」を書きたくて着想したのがこの物語で、オリンピック噺は後付けだったとか。なるほど、だから志ん生が語り部だったんですね。その意味では、今回が志ん生の物語の着地点壮大な伏線の集大成の回だったといえるでしょう。まさに「神回」でした。



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by sakanoueno-kumo | 2019-10-14 18:32 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(0)  

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