天誅組の足跡を訪ねて。 その13 「井澤宜庵宅跡・墓所」
五條出身の天誅組隊士としては、「その12」で紹介した乾十郎のほかにも2人いましたが、そのなかのひとり井澤宜庵の住居あとにも石碑が建てられています。

井澤宜庵は乾十郎と同じく、五條で医者をしていた人物です。
あまり有名な人ではありませんが、天誅組には軍医として参加していたそうです。
軍中では病傷人の面倒をよくみ、隊士の信頼も厚かったと伝わります。

説明板によると、高取城攻めで負傷した吉村寅太郎の手当てもしたそうで、その丁寧な治療により、大将の中山忠光から褒美として刀を贈られたといいます。

近くの永楽院には、井澤宜庵の墓があります。

説明板によると、天誅組が鎮圧された後、五條で津藩の軍勢に降伏して捕らえられ、五條の人々の働きかけによっていったん釈放されたそうですが、のちに今度は幕府の役人に捕らえられ、慶応元年(1865年)、乾が処刑された京都六角獄に投獄され、そこで毒殺されたそうです。
享年43
妻の禮以ととともにここに眠ります。

五條代官所襲撃で殺害された代官の鈴木正信(源内)のさらし首の絵が残っているそうですが、その絵を描いたのが井澤宜庵だったといいます。
明治31年(1898年)、政府は井澤宜庵に正五位を贈りました。
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by sakanoueno-kumo | 2019-10-17 01:46 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)