天誅組の足跡を訪ねて。 その19 「鷲家口古戦場~那須信吾戦死の地」
文久3年9月24日(1863年11月5日)夕方、鷲家口手前で軍議を開いた天誅組残党一行は、敵陣に決死隊を斬り込ませて撹乱し、その隙に中山忠光ら本体が切り抜ける作戦を立てます。
その決死隊に志願したのは、那須信吾を隊長として、鍋島米之助、宍戸弥四郎、名所繁馬、植村定七、林豹吉郎の6名でした。

那須は、もとは土佐勤皇党の一員で、あの吉田東洋暗殺の実行犯と言われる人物です。
彼らは、宝泉寺前の出店坂を駆け下って彦根藩脇本陣碇屋に斬り込みます。
上の写真は、その出店坂の上に建てられていた説明板です。

これが出店坂。
ここを那須らが駆け下っていったそうです。

坂の途中にも説明板があります。


坂を下ったところにある民家に、「彦根藩・石原甚五左衛門陣所跡」と書かれた看板が設置されています。
ここに、那須らが斬り込んだ彦根藩脇本陣碇屋があったようです。

その横の商店の前に、「天誅義士 那須信吾先生戦死之地」と刻まれた石碑があります。


もともと彼ら決死隊は、中山忠光ら本隊を逃がすために編成した隊でしたから、読んで字の如く「死ぬと決めた隊」であり、時を稼いで玉砕することが彼らの目的でした。
古来、死を決した戦士ほど強いものはありません。
彼らは壮烈な戦いを繰り広げ、彦根藩追討軍にも相当のダメージを与えたようです。
しかし、やがて6名全員が戦死します。

那須信吾は身長180cm以上の巨漢で、武勇に優れた怪力の持ち主で、走ることにおいては馬より速いと噂され、「天狗様」と称されたといいます。
天狗が死を決して玉砕に臨んだわけですから、追討軍の兵たちは相当怖かったんじゃないでしょうか。
辞世
「君ゆゑえに 惜しからぬ身を ながらへて 今この時に逢ふぞうれしき」
↓↓↓
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2019-10-25 13:24 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)