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天誅組の足跡を訪ねて。 その25 「宝泉寺(天誅組菩提寺)・天誅義士記念碑」

東吉野村の丘の上にある宝泉寺は、文久3年9月24日(1863年11月5日)に起きた鷲家口の決戦における戦死者の菩提寺です。


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宝泉寺は「その19」で紹介した出店坂の上にあります。

那須信吾決死隊は、この前を通って出店坂を駆け下り、彦根藩脇本陣碇屋に斬り込みました。


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ここで菩提を弔われている戦死者たちです。

吉村寅太郎以外は、「その19」から「その24」までで紹介した鷲家口の決戦で最期を遂げた隊士たちですが、注目すべきは、敵方である彦根藩士大館孫左衛門伊藤弥左衛門の二人も祀られているということ。

お寺にとっては、敵も味方もなく、この地で落命した侍たちを分け隔てなく手厚く葬り、弔ったということですね。

宗教のあるべき姿だと思います。

毎年、大臣が公式参拝するやしないやで物議を醸す有名な神社のように、どちらか一方だけを「忠臣」とか「英霊」とか聞こえの良い美談にすり替えて祀っているのとは、えらい違いです。


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本堂です。


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本堂には、「天誅義士 彦野藩士 菩提祠堂・・・」と書かれた木札が掲げられています(後半が消えかけてて、なんて描いてあるかわかりませんでした)。


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ここ宝泉寺は、鷲家口の決戦のとき、天誅組を迎え撃つ彦根勢が篝火の代わりに寺を焼こうとしたのを、当時の和尚が阻止したという逸話が残されています。

どのように抵抗したのでしょうね。


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寺の門前には、「天誅義士記念碑」が建てられています。


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この記念碑は大正2年(1913年)に作られましたが、しかし、寄付金を募って記念碑の建立や墓地の整備を行ったため、この地に建立までに歳月を要し、記念碑の除幕式は、大正9年(1919年)11月5日に行われました。

揮毫は伯爵・土方久元

土方は土佐勤皇党出身で、あの坂本龍馬中岡慎太郎とともに薩長同盟の締結に尽力した人ですね。

おそらく、吉村寅太郎とも面識があったでしょう。


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宝泉寺では、いまも毎年11月5日に天誅祭が法要されているそうです。




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by sakanoueno-kumo | 2019-11-07 16:38 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)  

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