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天誅組の足跡を訪ねて。 その29 「天誅義士湯ノ谷墓所」

鷲家には「天誅義士湯ノ谷墓所」があります。

ここも、「その26」で紹介した明治谷墓所と同じく天誅組隊士たちが葬られています。


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伊勢街道沿いに「天誅義士墓所」と刻まれた石碑が建てられています。


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この石碑は比較的新しいもののようです。


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柵を開けてなかに入ると、このあたりの集落の墓地があり、墓地内に「天誅義士湯ノ谷墓所」と書かれた案内板が。


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墓地のいちばん奥の一角に、特別な場所といった雰囲気の古い玉垣に囲われたスペースが見えます。


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手前の石灯籠は、天誅義士百二十年祭のときに作られたもののようです。


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錆びた古い看板、読めません。


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明治谷墓所には、文久3年9月24日(1863年11月5日)に起きた鷲家口の決戦で討死した隊士が葬られていましたが、ここ湯ノ谷墓所は、その翌日以降に落命した隊士が眠っています。


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ここに眠っているのは、松本奎堂、村上萬吉、藤本鉄石、福浦元吉、森下幾馬、森下儀之助の6名。

もっとも、そのうち森下儀之助は翌年の京都六角獄舎にて刑死したため、遺骸はここに葬られてはいないのですが、弟の幾馬がこの墓地に眠っているので、地元の人々の気持ちで兄の墓石も建てられたそうです。


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なので、こちらの案内板には、儀之助の名前が載っていません。


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左から、「その24」で紹介した森下儀之助、森下幾馬「その28」で落命した松本奎堂「その27」で討死した藤本鉄石の墓石です。


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こちらは、一番右がひとつ前の写真と同じ森下儀之助で、その横が藤本鉄石とともに討ち死にした福浦元吉、いちばん左が松本奎堂とともに落命した村上萬吉ですが、その右側の「藤本眞金君墓」という墓石が、誰のことかわかりませんでした。

上の看板にも載ってなかったですし、隊士なんでしょうか?


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玉垣の外には「天誅組烈士ノ碑」と刻まれた小さな石碑もあります。


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こちらは漢詩の石碑です。


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ここ湯ノ谷墓所も、明治谷墓所と同じく明治27年(1894年)に整備されたそうです。




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by sakanoueno-kumo | 2019-11-13 23:59 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)  

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