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いだてん~東京オリムピック噺~ 第43話「ヘルプ!」 ~第4回アジア競技大会~

第18回東京オリンピックの2年前、昭和37年(1962年)にインドネシアジャカルタ第4回アジア競技大会が行われました。この大会は2年後に控えた東京オリンピックの前哨戦ともいうべき重要な大会だったのですが、ここで大きな政治問題が発生します。


 当時、インドネシア政府は親中国および親アラブ諸国の政策をとっていました。そのため、彼らが国として認めていなかったチャイニーズ・タイペイ(台湾)イスラエルに対して選手団の入国身分証明書を発行せず、事実上両国の参加拒否という姿勢を示します。これは、大会の開催権を握るアジア競技連盟の意向に反する行為でした。両国には国際オリンピック委員会(IOC)国際陸上競技連盟(IAAF)も参加資格を認めており、IOCからは、「両国の参加を認めないのであれば、この大会を支持しない」との発表があり、また、国際陸上競技連盟からも、「両国を参加させない限り、国際陸連としては大会を認めることはできない。この大会に参加した国は国際陸連から除名する。」という電報が届きます。


e0158128_17574863.jpg 日本はこの大会に選手209人役員43人計252人を派遣していました。まーちゃんこと田畑政治はその本部役員として、JOC会長で組織委員会会長の津島寿一に次ぐナンバー2のポジションにありました。いや、実質ナンバー1だったかもしれませんね。そういう立場ですから、たちまちこの政治問題に巻き込まれて対応に苦慮することになります。日本は参加するか否か。その判断は現地に一任されます。アスリートファーストで考えれば、ここまで来てボイコットなどあり得ない。しかし、政治的な観点でいえば、ここで強行してIOCや各国際競技連盟からの反感を買い、東京オリンピックに支障をきたすことになれば元も子もない。まさに、「進むも地獄退くも地獄」の決断でした。


 このとき会長の津島は、東京オリンピックへの支障を危惧し、「ボイコットすべきだ」と主張したといいます。しかし、田畑の主張はその逆でした。「もし、ここで最も参加選手を多く派遣している日本がボイコットすれば、大会が大混乱に陥り、選手や在留邦人に危害がおよぶ可能性も決して否定できない」と主張し、参加に踏み切ります。


 e0158128_17585936.jpg結局日本は、競技自体が中止になったウエイトリフティングを除く13競技に参加し、金メダル74個、銀メダル57個、銅メダル24個という大きな成果を残しました。しかし、帰国後、この騒動で田畑と津島がその責任を取らされることになります。その陰には、「政界の寝業師」の異名をとった川島正次郎の画策があったといわれます。そのあたりは次回、描かれるようですね。


 ちなみに、このときのインドネシアの国家元首はスカルノ大統領。あのデヴィ婦人の旦那さんですね。このアジア競技大会が行われた同じ年、デヴィ婦人はスカルノと正式に結婚し、4人の夫人のうちの第3夫人になっています。日本は第二次世界大戦中よりスカルノと親密な関係を持っており、戦後も経済面を中心にその関係は続いていました。デヴィ婦人をスカルノに紹介したのも日本の商社です。ドラマで、田畑が川島に対して「大統領とズブズブな関係」と罵っていましたが、たしかに、日本政府は政府で、そう簡単にインドネシアを裏切れない理由があったんですね。IOCにもインドネシアにも両方に顔が立つ結論を作るには、だれか個人にその罪をかぶらせなければならない。なるほど、さすがは「政界の寝業師」です。



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by sakanoueno-kumo | 2019-11-18 18:01 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(0)  

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