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「生野の変」ゆかりの地を訪ねて。 その9 <多田弥太郎顕彰之碑>

「その8」のつづきです。

「その3」で紹介した山口護国神社から直線距離で25kmほど北上したところに、「生野の変」で挙兵した志士のひとり、多田弥太郎終焉の地があります。

現在、その場所には顕彰碑が建てられています。


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場所は現在、養父市と豊岡市の市境にある浅間トンネルを抜けてすぐの豊岡市側にあります。

かつてこの浅間峠は、生野の天領と出石藩との国境でした。


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看板には、「勤皇志士多田弥太郎顕彰之碑」とあります。


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多田弥太郎は出石藩士の家に生まれ、大坂・江戸・京都で諸学を学び、帰藩して藩校弘道館の寮長を務めました。

外国船の出没に不安を抱いた多田は、長崎で高島流砲術を学び、その普及を試みるも、藩の旧勢力と対立し、9年間幽閉されます。

閉門を解かれたのち、尊王攘夷派の公家と接近します。

そして文久3年8月18日(1863年9月30日)に起きた八月十八日の政変を知ると、七卿落ちで京を追われた一行と三田尻で合流し、そこで平野國臣らの要請に応じ、同郷の高橋甲太郎、中条右京とともに生野の挙兵に参加します。


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生野の挙兵では節制方を務めました。

しかし、形勢が悪化すると、強硬派の河上弥市(南八郎)らに解散を促しますが、拒否されたため、総帥の澤宣嘉を説得し、本陣を脱出しました。

総帥がいなくなった生野本陣はまたたく間に破陣し、河上ら残党は翌日に壮絶な死を遂げたという話は、これまでの稿で述べたとおりです。


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生野本陣を脱出した多田は、山中で澤宣嘉一行とはぐれ、大阪・京都に逃亡、潜伏しました。

しかし、敗走から4ヶ月後、但馬国で出石藩士に発見され、元治元年2月28日(1864年4月4日)、駕籠で出石に護送される途中、浅間峠を越えて藩領に入った直後に刺殺されます。

享年39。

最期の言葉は「今に分かる」だったと伝わります。


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遺骸は藩命により獄に埋められ、父母、妻子、弟妹すべて禁固に処せられました。

しかし、時は過ぎて明治24年(1891年)、靖国神社に合祀されるとともに、明治政府より従四位を贈位されました。


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そして、大正14年(1925年)浅間坂に「贈従四位多田君隕命遺蹟碑」が建てられました。

それがこの碑です。


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もっとも、当初はこの場所ではなく旧街道にありましたが、昭和38年(1963年)に浅間トンネルが開通したことによって旧県道は廃道となり、その後しばらく石碑は放置されていましたが、昭和61年(1986年)11月にこの地に移されたそうです。


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墓標は、今でも峠の山中にあるそうです。


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反逆罪の大悪人が、ひとたび革命が起これば正義の忠臣として讃えられる。

政治犯というのはそういうものなんでしょうが、この生野の変天誅組の変などの「義士」と呼ばれる浪士たちは、どうも政治犯というレベルにも達しない稚拙なテロリストという印象でしかありません。

そんな彼らを合祀している靖国神社というところは、やはり、政治利用のために創設された偏った神社と言わざるを得ません。

というと、一部の方々からかなりお叱りを受けるでしょうが。


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現在の浅間トンネルです。

たぶん、あのトンネルの上あたりで、多田は殺されたのでしょう。

合掌。




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by sakanoueno-kumo | 2019-12-07 16:02 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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