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いだてん~東京オリムピック噺~ 第46話「炎のランナー」 ~アトミック・ボーイ~

 昭和39年(1964年)8月21日にギリシャ・オリンピアの太陽光で採火された聖火は、アジア地域11カ所を経由し、約2週間あまりのフライトで9月7日に沖縄に到着しました。当時の沖縄は言うまでもなくアメリカの統治下にあり、厳密には「日本の国土」ではありませんでした。したがって、日の丸を掲げることは原則禁止されていたのですが、聖火が沖縄に届いたその日、空港は沖縄の人々の振る日の丸で埋め尽くされていたそうです。当時の沖縄の人にとっては、感動のひとコマだったでしょうね。


 その後も、聖火は日の丸の歓迎をうけながら沖縄本島をめぐりました。その光景を見た沖縄の人たちは、本土との一体感を得ることができたといいます。何より、日本国内の聖火リレーの出発点を沖縄にしたことが、当時の政府ならびに組織委員会の大手柄でしたね。これにより、沖縄は日本の領土であるということを国内外に改めて示したわけで、日本政府は決して沖縄を見捨ててはいないというメッセージの発信だったといえます。それを可能にしたのは、琉球政府の強い働きかけやメディアの活躍もあったようですが、決め手となったのは、昭和28年(1953年)に日本体育協会に加盟していたことでした。スポーツは一足先に日本復帰していたんですね。


 あと、これをアメリカが鷹揚にみていたのも、占領統治下における宥和政策を世界に発信する狙いがあったのでしょう。この沖縄の聖火リレーは、日米双方にとって政治だったんですね。


 その後、聖火は空路で本土に渡り、鹿児島、宮崎、北海道から4つのルート東京へ向かいました。国内地上リレーの総距離は6755km、参加走者は10万713人だったそうです。10月7日から9日にかけて東京都庁に集められた各コースの聖火は、9日に皇居前に設置された聖火台で再びひとつの火となり、10日、皇居前から国立競技場までの6.5kmを男女7名によってリレーされ、最終聖火ランナー坂井義則の手に託されました。


いだてん~東京オリムピック噺~ 第46話「炎のランナー」 ~アトミック・ボーイ~_e0158128_20002343.jpg オリンピックの聖火リレーの最終ランナーというと、従来、過去の大会でのメダリストが務めるケースが多く、このときも、当初は日本選手初の金メダリストの織田幹雄をはじめ、レジェンドと言える過去のオリンピック選手の案で決まりかけていたそうです(あるいは、金栗四三の案も出ていたかもしれませんね)。ところが、「聖火ランナーは若者であるべきだ」という声が上がり、これに最終ランナー候補だった織田が賛同したことから、聖火リレーの最終ランナーは若者に任せることになります。そこで、開会式の約2ヶ月前の8月はじめに東京と近郊在住の10代の陸上選手10人が最終日の走者候補に選ばれ、最終的に最終走者となったのは、原爆が投下された昭和20年(1945年)8月6日に広島県で生まれた坂井義則でした。


 坂井の起用については、賛否両論あったようです。原爆投下の日に広島で生まれた若者といえば、戦後復興をアピールしたい日本にとってはこれ以上ない人選だと思うのですが、逆に、原爆とオリンピックを結びつけることに異議を唱える声も少なくはなかったようです。その理由は詳らかではありませんが、おそらく、原爆を投下したアメリカを刺激したくないという思いがあったのでしょう。しかし、結果的に坂井の起用は世界中から大絶賛され、国内外のメディアは坂井を「アトミック・ボーイ(原爆の子)」と呼び、戦後復興と平和の象徴として大々的に報道しました。


 ちなみに、坂井はオリンピックこそ出場できなかったものの、その後も陸上選手としても活躍し、早稲田大学卒業後にはフジテレビに入社し、スポーツと報道分野で活躍されました。あのアナウンサーの逸見政孝氏は同期入社だったそうです。


 さて、令和2年(2020年)の東京オリンピック最終聖火ランナーですが、巷では国民栄誉賞受賞で金メダリストの高橋尚子さん、山下泰裕さん、吉田沙保里さんなど、様々な予想が飛び交っているようです。が、56年前の坂井義則の先例に倣うとするならば、東日本大震災からの復興途中にある今、被災者でスポーツと関わりのある人のなかから選ばれるのではないでしょうか。さすがに震災当日に生まれた子となると、まだ9歳なので無理があるでしょうが、何か象徴となるような人。あるいは原発被災者のなかから選ばれるかもしれません。ある意味、これも「アトミック・ボーイ」と言えるかもしれませんね。もっとも、こちらの場合、未だ復興の目処は立っておらず、かつての沖縄とは違った意味で、国土が失われたままです。帰還困難区域を聖火リレーが通ることもなければ、日の丸が掲げられることもありません。56年前の再現とはいかないでしょうね。



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by sakanoueno-kumo | 2019-12-09 20:01 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(0)  

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