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明治維新を血に染めた堺事件。 その1 「堺事件発祥の地碑」

新政府軍と旧幕府軍が衝突した鳥羽伏見の戦いが終結した直後の慶応4年2月15日(1868年3月8日)、泉州・堺において、無断上陸したフランス兵と堺の治安を預かる土佐藩士衝突する事件が発生しました。

退去を要求するも聞き入れられず、ついには銃撃戦に発展。

フランス側に22人の死傷者を出す結果となりました。

後世に「堺事件」として知られる事件です。

折しもこの1ヶ月ほど前、神戸で同じような事件が起き(神戸事件)、この6日前にその当事者が切腹したばかりでした。


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現在、堺事件が起きた旧堺港跡には、事件を伝えるバカでかい石碑が建てられています。


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事の発端は15日昼ごろ、大坂から政府の許可なしで陸路、堺に入ろうとしたフランス兵を土佐藩士が大和川に架かる大和橋で阻止したことにはじまります。

このとき、一旦フランス兵は抵抗せずに引き返しますが、午後3時ごろ、今度は海路から堺港に入ったフランス兵が、無断上陸して市内をうろついていました。

夕刻、近隣住民の苦情を受けた六番隊警備隊長の箕浦元章(猪之吉)と八番隊警備隊長の西村氏同(佐平次)らは、艦に戻るように説得を試みるも言葉が通じず、やむなく土佐藩兵はフランス水兵を捕縛しようとしました。

土佐藩兵とフランス水兵は小競り合いとなり、そのうちフランス水兵が土佐藩の隊旗を奪って逃走しようとしたため、焦った土佐藩の箕浦はとっさに発砲、双方銃撃戦となります。

結局、このとき死亡したフランス水兵は11人で、射殺のほか溺死者もおり、負傷者も入れると22人にものぼりました。

いずれも20代の若者だったといいます。

なお詳細な原因は話者ごとに食い違っており、フランス側は何もしないのに突如銃撃を受けたと主張しています。


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こちらの小さな石碑には、「明治初年仏人撃攘之処」と彫られています。


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この事件を重く見た在日フランス公使のレオン・ロッシュは、土佐藩に遺族への賠償金として15万ドル(7、8億円相当)の支払いや、発砲にかかわった全員の処刑を求めてきました。

これを受けた土佐藩前藩主の山内容堂は、たまたま京の土佐藩邸に滞在していた英公使館員アルジャーノン・ミットフォードに、藩士の処罰の意向をロッシュに伝えるように依頼しました。

この指示を受けた土佐藩上層部が事情を聴取したところ、29人の藩士「発泡した」と供述しました。

しかし、朝廷の岩倉具視、三条実美らは、フランスの要求には無理難題が多く隊士すべてを処罰すると国内世論が攘夷に沸騰する事を懸念し、処罰される者の数を減らすように要求します。

そこで、外国局判事・五代友厚(才助)らがフランス側と交渉し、隊士全員を処罰せず隊長以下20人切腹することが決まります。


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この20人の決め方ですが、箕浦元章(猪之吉)と西村氏同(佐平次)の隊長2人と小頭2人の計4人はすでに死罪が決まっていましたが、あとの16人は、なんとなんと、稲荷神社のくじ引きで決めることになったそうです。

生死をくじ引きで決めたっていうんですから、びっくりですね。

この時代の武士たちにとって、命は軽いものだったんですね。

もっとも、裁く側も裁かれる側も、納得していない処刑ですから、ある意味、くじ引きで決めたほうが恨みっこなしだったかもしれません。

藩も政府も、できれば助けてやりたい、でも助けられない。

なら、くじ引きが一番公平だったといえるかもしれませんね。


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こうして選ばれた20人は、2月23日、事件現場近くの妙國寺で切腹することに決まりました。

つづきは「その2」にて。


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ちなみに、この「堺事件発祥の地碑」の隣には、幕末の尊皇攘夷集団・天誅組に関する石碑が並びます。

この碑については、以前の当ブログ「天誅組の足跡を訪ねて」の稿で紹介していますので、よければ一読ください。




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by sakanoueno-kumo | 2019-12-13 01:01 | 大阪の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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