丹波国篠山城跡を歩く。 その1 ~内堀~
兵庫県篠山市にある篠山城跡を訪れました。
篠山城は江戸幕府開府後に徳川家康が築いた城で、当時、篠山盆地は大阪や京都から山陰、山陽への街道が通る交通の要衝地でした。
江戸幕府を開いた徳川家康は、慶長13年(1608年)に松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに、西国諸大名に対する抑えの拠点として新城の築城を命じました。
そして築かれたのが、ここ篠山城です。
築城工事は西国15カ国20大名によって行われ、縄張り奉行を築城の名人で知られる藤堂高虎が、そして普請総奉行を同じく城づくりの名手として知られる池田輝政が務め、延べ8万人を動員して約半年という突貫工事で完成させたといいます。
篠山城跡の見どころは何といっても高石垣。
まずは内堀に沿って1周してみましょう。
石垣は基本的に野面積みです。
関ヶ原の戦い後のこの時代は既に打込み接ぎの工法が主流となりつつあったと思うのですが、なぜか篠山城は古い工法の野面積みなんですね。
半年間の短期突貫工事だったからでしょうか?
北西の出隅です。
算木積みの工法が用いられていますね。
「算木積み」とは石垣の出隅部分に用いられる技法で、長方体の石を交互に重ね合わせて積み上げられるため、強度が増します。
内堀は、昭和の戦後に一度埋め立てられたそうで、その後、復元されたものだそうです。
南西の出隅です。
南側の石垣。
上部に見える門は、二の丸へ通じる埋門。
現在は通行禁止です。
南東に見えるのは、天守台の高石垣。
高さは約17mあるそうです。
石垣下には、犬走りが見られます。
「犬走り」とは、石垣と堀の間や土手の斜面に設けられた細長い通路や平地部分のことで、犬が通れるくらいの幅しかない道という意味合いから、そう呼ばれます。
こちらは南東から見た天守台石垣。
出隅は算木積みになっていますね。
こちらは、北東の石垣です。
ここにも犬走りがあります。
こちらは草が刈られてきれいに整備されています。
とにかく石垣が見事です。
表門横の櫓台石垣です。
櫓台の説明板。
北側の北廊下門にやってきました。
ここが三ノ丸から二ノ丸に続く大手筋になります。
土橋前には昭和31年(1956年)に建てられた石碑があります。
その横には案内板が。
さて、土橋を渡って二ノ丸へ・・・と言いたいところですが、長くなっちゃったので、続きは「その2」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2019-12-22 00:36 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
史跡については疎いもので..読ませていただいていろいろと勉強になりました(^^