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丹波国篠山城跡を歩く。 その4 ~本丸・天守台~

「その3」の続きです。

篠山城二ノ丸跡から本丸跡に向かいます。


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写真は二ノ丸東側の本丸石垣です。

見てのとおり、本丸は二ノ丸より少しだけ高くなっているだけで、ほとんど並列のような感じです。


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本丸入口には石鳥居があります。

現在、本丸には青山神社が鎮座しています。


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青山神社は明治15年(1882年)に建立され、最後の篠山藩主・青山氏の遠祖・青山忠俊と、第12代藩主・青山忠裕が祭神として祀られています。

青山氏は譜代大名として幕府の要職を歴任した家柄で、なかでも忠裕は30年余り幕府老中を務め、その功績により篠山藩は5万石から6万石に加増されました。

また、忠裕は藩内の教育にも熱心だったそうで、篠山藩校「振徳堂」の学舎を増やし、学問を勧めたそうです。

そのことから、青山神社は学問の神様として信仰されていました。


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もうひとりの祭神・青山忠俊は、徳川家康の孫に当たる竹千代(のちの三代将軍・徳川家光)の傅役を務めた武将です。

しかし、忠俊はしばしば家光に諫言を繰り返したため、老中を免職されました。


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これ、もとは御神木だったのでしょうね。


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また、本丸内には、青山忠誠の頌徳碑があります。

青山忠誠は最後の藩主・青山忠敏の弟で、明治6年(1873年)に忠敏が死去し、忠敏に男子がいなかったことから、家督を継ぎました。

忠誠は明治9年(1876年)に私財を投じて私立篠山中学年舎をつくり、旧藩士の子弟教育に尽くしたそうです。

同校は明治17年(1884年)の中学校設備規則発布により廃校の方針となりますが、忠誠は基金を募り、翌年に私立鳳鳴義塾として存続をさせました。

また、東京にも進学の為の寄宿舎尚学館をつくり優秀な者は遊学させたそうです。

殿様の家柄で、明治以降にここまで旧家臣たちの教育に尽力した人は他に例を見ないかもしれませんね。

しかし、残念ながら忠誠は明治20年(1887年)に29歳という若さで没し、明治25年(1892年)に正四位を追贈されました。


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こちらは、同じく本丸跡にある青山忠誠公追慕碑

地元ではよほど敬慕されていたのでしょう。


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その説明板です。


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こちらは本丸跡の説明板です。

それによると、築城当初は現在の二ノ丸が本丸と呼ばれ、現在の本丸は、南東の隅に天守台があることから、特に殿守丸と呼ばれていたそうです。


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その天守台に行ってみましょう。


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天守台です。


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本丸から見た天守台はそれほど高さはありませんが、「その1」で見た内堀側の天守台石垣は、高さ17mあります。


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天守台に上がってきました。


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天守台は東西約18m、南北約20mあります。


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この天守台に天守が築かれることはありませんでした。

当初は建てる計画があったそうですが、築城途中に中止となったそうです。

その理由は、城郭が堅固すぎるということだったとか。

西国諸大名に対する抑えの拠点として幕府を守るために築城された篠山城ですが、それでも堅固すぎてはダメなんですね。


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その代わりに、天守台南東隅に二間四方(約3.6m四方)単層の隅櫓を配置し、東西と南北に土塀をめぐらせたそうです。


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その説明板です。


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天守台からの東の眺望です。

富士山のような形をした山が見えますが、あの頂上には、かつて八上城がありました。


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さて、本丸を制覇しましたが、篠山城シリーズをもう少し続けます。

続きは「その5」にて。



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by sakanoueno-kumo | 2019-12-26 00:40 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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