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丹波国篠山城跡を歩く。 その6 ~振徳堂跡・御徒士町武家屋敷群~

「その5」で紹介した南馬出の西隣に、かつての篠山藩の藩校「振徳堂」がありました。

現在、南馬出の土塁横に案内板のみが残っています。


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その案内板です。


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篠山藩9代藩主の青山忠朝は、寛延4年(1751年)に大坂の儒学者・関交平を聘招して藩の有志を学ばせ、その後、藩士の中で学問を志す者が多くなり、明和3年(1767年)に10代藩主の青山忠高がこの地に藩校「振徳堂」を創建し、翌年に教育方針である「學規」を定めました。

その後、「その4」で紹介した12代藩主・青山忠裕のときに学舎を増設して藩内の教育に力を入れるようになりますが、明治に入って廃藩置県後に廃校となりました。

しかし、その教育精神は、同じく「その4」で紹介した青山忠誠によって創設された篠山中年学舎(現在の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)に引き継がれていきます。


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振徳堂跡の北側には、篠山城西側の外堀が伸びます。


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こちらは西側隅から見た南側の外堀

ここを訪れたのは平成30年(2018年)5月12日。

水辺をマーガレットが彩ります。


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西側の外堀沿いには武家屋敷群が残っています。


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こちらはその説明板。


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篠山城の城下町は慶長14年(1609年)の築城時から10年ほどの歳月をかけて整備され、城を取り囲むように武家町が配置されましたが、その武家町の中でもさらに武士の身分によって住む場所が決められたそうで、西側には「徒士」という身分の武士が住んでいたため、「御徒士町」と呼ばれました。

「徒士」とは、戦の際に馬に乗ることを許されずに徒歩で戦う武士のことで、いわば下級武士でした。

明治になって藩がなくなると、上級武士の多くは東京に移り住んだため武家町は衰退しましたが、御徒士町からの転出は少なかったため、武家屋敷群が残されるに至ったそうです。


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御徒士町武家屋敷群の南にある小林家長屋門


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茅葺きの入母屋造です。


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現地案内板によると、文化年間(1804年)頃、篠山藩12代藩主・青山忠裕がその老女・小林千枝の多年の労に報いるために修築した長屋門と伝えられるそうです。


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木造間口17.3m、奥行3.6mあるそうで、江戸時代後期に建てられた篠山市内に残る数少ない武家長屋建築のひとつとして、兵庫県指定文化財に指定されています。


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こちらは、中村家屋敷


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こちらは、城戸家屋敷


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こちらは、原家屋敷


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こちらは、佐藤家屋敷


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こちらの安間家屋敷は、現在、「武家屋敷安間家資料館」として一般公開されています。


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安間家史料館は天保元年(1830年)以降に建てられた武家屋敷で、平成6年(1994年)10月から翌年3月にかけて全面的な改修が行われ、史料館として一般に公開されたものです。


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安間家は「高12石3人扶持」の禄を得る下級武士だったそうです。


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屋敷内には、安間家に残された古文書や日常に用いられた食器類や家具を始め、その後、寄贈を受けた篠山藩ゆかりの武具や資料などが数多く展示されています。


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幕末の大ベストセラーとなった頼山陽『日本外史』があります。


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母屋は間口6間半(13m)、奥行7間半(15m)の曲屋で、部屋割りは正面に向かって左に玄関、右奥に庭園に面した8畳の座敷があり、玄関の奥には台所、座敷の奥には仏間、居間が続いています。

今の表現でいえば、4LDKでしょうか?

規模としては、篠山藩の標準的な下級武士の住宅だそうですが、けっこう広いですよね。


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母屋西側にある庭園です。

これもけっこう広い。


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庭から見た母屋。


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庭の片隅には土蔵があります。


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こちらは、玄関横の井戸


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さて、武家屋敷群を過ぎて外堀北西隅にやってきました。

これで、城跡をすべて巡りましたが、篠山城周辺の城下町は、「篠山伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

あと1回だけ、城下町を歩きます。

つづきは「その7」にて。




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by sakanoueno-kumo | 2019-12-28 08:17 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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