丹波国篠山城跡を歩く。 その7 ~河原町妻入商家群~
「その6」の続きです。
篠山城跡の西側城下町にやってきました。
城下町の南東に位置する河原町は旧商家町で、東西約500mの通りに沿って江戸時代末期から昭和戦前期の土蔵が縦並びます。
一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
入口には、「河原町妻入商家群」と記された大きな看板が。
石碑もあります。
商家群を歩きましょう。
こちらは西坂家住宅。
屋号は「錦屋」と言って、元は綿花栽培、醤油屋を営んでいたそうです。
主屋は入母屋造妻入の中2階建てで、間口は九間と篠山伝統地区では最も広い規模を有します。
こちらは川端家住宅。
表間口九間半の敷地に経つ入母屋造平入の町家で、主屋などは明治前期ごろ、離れは大正9年(1920年)に建築されたそうです。
こちらは現在、鳳凰会館と呼ばれる地元公民館の建物ですが、元は明治12年(1879年)頃に建てられた南丹銀行の建物だったそうです。
その後、第百三十七銀行、神戸銀行の河原町支店となり、現在は公民館として利用されています。
こちらは丹波古陶館。
丹波焼を専門に扱う美術館です。
こちらは能楽資料館。
郵便局も景観に合わせた作りになっています。
その横には、「平尾竹霞生誕の地」と刻まれた石碑があります。
平尾竹霞は篠山藩出身の南画家で、明治、大正、昭和初期に活躍した南画界の巨匠です。
こちらは小林家住宅。
屋敷は明治12年(1879年)頃の建築。
妻入、平入建築の組み合わせ。
町医者として昭和40年(1965年)まで開業していたそうです。
こちらは高田屋住宅。
建築年代は江戸時代後期で、商家群のなかでも最も古い建物です。
屋敷は一階東(左)側に通り土間をとおし、西(右)側に店の間、居間、座敷、中庭、離れ、土蔵を並べ、中二階には出格子窓やむし子窓を設けるという河原町妻入商家の典型的な形式となっています。
古くは「あかしや」を屋号として代々油類を中心に薬日用品、化粧品等の卸、販売等を平成15年(2003年)まで行っていたそうです。
その後、平成17年(2005年)に外観をガラス戸から格子に復元したそうです。
平成30年(2018年)5月12日だったのですが、ちょうど「妻入商家春のれん」というイベント期間中だったようで、各商家の店先は小豆色や辛子色の暖簾で彩られていました。
さて、全7稿に渡って篠山城とその周辺を歩いてきましたが、本稿でシリーズを終わります。
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by sakanoueno-kumo | 2019-12-29 18:59 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)