国宝・彦根城を歩く。 その2 <天秤櫓>
「その1」のつづきです。
表御殿横で入場券を購入し、本丸に向かう石段を登ります。
石段は見ての通り、登り始めは一段の幅が広いのですが・・・・
進むにつれてだんだん狭くなっていきます。
これは、攻めてきた寄せ手の歩調を乱すために意図的に不規則に作られているものです。
これでは、上の方が詰まって渋滞を起こすでしょうね。
石段を登りきると、高石垣と櫓が見えます。
この櫓は「天秤櫓」といい、本丸下の太鼓櫓の虎口に立つ櫓門です。
その天秤櫓に見とれていると、その下には大きな堀切が。
右が天秤櫓、左が鐘の丸です。
ここに入り込んでしまえば、両側から鉄砲と弓矢で蜂の巣ですね。
堀切から天秤櫓を見上げます。
有事の際はこの橋を落として防御する仕組みになっていたのでしょう。
掘切西側から見た天秤櫓です。
天秤櫓は彦根城築城当時からの櫓で、重要文化財です。
また、その下の石垣を見てみると、写真手前(橋の左側)の石垣と、奥(橋の右)の石垣と、色や工法が違っているのがわかります。
橋の向こう側の石垣は打込み接ぎで、おそらく築城当時のもの。
手前のグレーの部分の石垣は切込み接ぎで、幕末の嘉永7年(1854年)の修復だそうです。
その説明板があります。
堀切から鐘の丸に向かいます。
鐘の丸虎口です。
往時は城門と番所があり、石垣の上は多聞櫓と塀で厳重に防御されていました。
その説明板。
鐘の丸側から見た天秤櫓です。
天秤櫓が築かれたのは井伊直継の築城当時で、彦根藩主井伊家の歴史書である『井伊年譜』によると、豊臣秀吉が築いた長浜城の大手門を移築したものであると記されています。
説明板によると、天秤のような形をしているのでそう呼ばれたのだとか。
どこが天秤のような形なんでしょう?
橋の上から見た櫓の東側。
上述した打込み接ぎの石垣の方ですね。
こちらは櫓の西側。
切込み接ぎの石垣の方です。
その向こうには、琵琶湖が見えます。
振り返ると、鐘の丸が見えます。
鐘の丸は公園になっていて、特に遺構はありません。
櫓門をくぐりって太鼓丸に入ります。
天秤櫓内も見学できるようです。
行ってみましょう。
櫓東側から入ります。
重要文化財の現存櫓なので、土足厳禁です。
入ってすぐに梯子があります。
上れません。
櫓内部です。
説明板によると、昭和30年代の解体修理の際、移築された建物であることが判明し、「上り藤」や「三つ柏」など井伊家の家紋と異なる紋瓦も確認されているそうですが、天秤櫓が『井伊年譜』の記述どおり長浜城大手門の移築と断定するまでには至っていないそうです。
天秤櫓のみどころ。
興味をひいたのは、両端の二重櫓は東側が江戸に、西側が京都に正面を向けて作られているのだとか。
徳川家の江戸に向けては当然として、京の都にも配慮がなされているところが興味深いです。
井伊家の旗印が展示されています。
さて、ほとんど天秤櫓だけでめっちゃ長くなっちゃいました。
「その3」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-01-09 23:58 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
naomibakeryです、
イイネありがとうございます。
お城を回られるのがご趣味ですか?
主人も今、時々回っています。